母の実家は大工一家技術者と職人の血で道具を使いこなした
1953年11月、東京都墨田区の旧・小梅町に生まれ、父母と妹の4人家族。母も墨田区育ちで、母の父や弟2人は大工。実家へいけば木片などで遊び、技術者と職人の血で、大工道具も使いこなせるようになる。
地元の小中学校から私立開成高校へ進み、大学は技術者の血からか自然に理科系を選び、東大の理科I類へ。専門課程は金属材料学科で、就職先は古河電工の面接で知った「型にはめない」との社風が気に入った。
順風だった光デバイス事業は2001年、暗転する。米国でインターネット関連の「ドットコム企業」が次々に生まれ、株価が高騰したITバブルが、実態に即さない投資が露呈して崩壊したためだ。光デバイスへの注文も、それを使った光通信網の構築構想も、世界が必要とする量をはるかに超えていた。
古河電工への発注もキャンセルが続き、設備の増強や人員の強化など、すべて見直しが必要となる。ただ、光デバイスの技術は将来に必ず活きると考え、人材と技術の存続の手も打つ。
その途中で、部長から部下のいないシニアマネジャーへ降格した。当然とは思ったが、それほどの挫折は経験がない。「会社を辞めようか」との思いが、頭をよぎる。でも、次の部署で頑張ればいいかと思い直し、知的財産部のシニアマネジャーへ異動した。