情報はただちに東郷に送られた。そして翌々二十七日午前4時50分、哨戒任務の仮装巡洋艦「信濃丸」から「敵、第二艦隊見ユ」の無電が発信された。
東郷長官はただちに全艦隊に出撃を命じ、大本営に全艦出撃を打電した。
「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直ニ出動之ヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高シ」
韓国の鎮海湾を出航した連合艦隊は、朝鮮海峡を一路南西に針路をとった。そして「三笠」がバルチック艦隊を発見したのは午後1時39分だった。午後1時55分、「三笠」のマストにZ旗が翻る。「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在り、各員一層奮励努力セヨ」という意味である。
北東に向かうバルチック艦隊、南西に向かっている連合艦隊。両艦隊は刻一刻と近づき、そのまま進めばすれ違って反航戦になる。東郷長官はじめ各参謀が詰める「三笠」艦橋は議論百出で、砲撃命令が出せない。すなわち戦闘を反航戦にするか、同航戦にするかが決まらない。同航戦で戦うにはただちに大転針しなければならない。しかし艦隊の転針中は砲撃ができず無防備となる。転針軸を集中的に狙われたら多大の損害を出す。
かといって反航戦をした場合、攻撃時間も短く、本来の目的である「敵全滅」ができずに捕り逃がす恐れがある。戦闘は同航戦と決まった。距離8000mで「艦長、取舵一杯に!」という加藤参謀長の声が轟いた。取舵一杯とは、艦首を左に急転回させることである。
午後2時5分、連合艦隊の第一、第二戦隊15隻は敵前大回頭に入った。そして全艦が回頭を終わり、敵艦隊の正面に横一線を成したのが2時20分だった。いわゆる丁字戦法の陣形ができたのだ。
一方、日本艦隊がいきなり正面で腹を見せたのを見た敵将は、一斉砲撃を命じた。砲撃は先頭の「三笠」に集中されたが、訓練不十分の射撃手は敵旗艦になかなか致命傷を与えられない……。