近藤康太郎さん

「しない」言い訳ばかりを探していないか?

 その叱責は、わたしにも向けられているのではないか。いつしかそう気づいた。弟子をしかるふりをして、わたしたちにも教えてくれている。

 なかでもいちばん記憶に残っているのは、「言い訳をするな」ということだ。ある日、女性のアシスタントが、小声で、しかし厳しく注意されていた。遅刻かなにか、ミスをしたのだろう。そのことよりも「言い訳をするな」という言葉が耳に残った。

「言い訳は、どんなことにだってできるんだ。言い訳を考えていると、一生なんか、すぐ終わる」周囲に配慮した小声の叱責を聞いて、わたしも、身を縮めた。

 仕事が忙しくて、勉強をする時間がない。遊びなんて、いまはとんでもない。二日酔いで今朝は原稿が書けない。大事な接待相手だから仕方がなかったんだ。親の介護で、仕事が手につかない。彼氏/彼女と別れて、文章なんて書く気になれない。子供が熱を出した。カネがない。時間がない。やる気が出ない……。

 言い訳すんな。どんなことにも、言い訳はできるんだ。言い訳を考えてると、短い人生なんて、あっという間に終わっちまう。

 書け。書いて、言い訳しろ。あらゆる芸術は、自己弁護である。

 どんな芸術品でも、自己弁護でないものは無いように思う。それは人生が自己弁護であるからである。あらゆる生物の生活が自己弁護であるからである。(森鷗外『ヰタ・セクスアリス』)

想定外だからセレンディピティの効果がある

〈遊び〉―〈勉強〉―〈仕事〉の大三角が、わたしたちを幸福にする。ナイスな人生にする。ここまでは、話すことができたと思います。

 さて、ここではもうひとつ審級を上げて、なぜこの大三角が有効なのかを考えます。スキゾフレニアな〈遊び〉によって、クリエイティブになる。創造的になる。パラノイアな〈勉強〉で、より詳しくなる。理論的になる。その〈勉強〉が直接、〈仕事〉に役立つ。〈仕事〉が楽しくなるから、人生がハッピーになる。

 でも、この大三角はなぜ機能するのか。ハッピーな、ナイスな人生になるのか。もっとありていにいえば、なぜ、おいしい〈仕事〉がくるようになるのか。

 それは、事故っているからです。ハプニングが起きているからです。

 自分でも計画していなかった、想像していなかった、予想外の出来事に、自分自身が翻弄されているからです。だから、〈仕事〉が、冒険になる。おもしろくなる。アドレナリンが出る。事故によって才能と努力の限界を超える。

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