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悲鳴嶼の心から消えない「怒り」
悲しみだけではない。彼は慈悲の涙の中に、強い「怒り」を時折のぞかせる。悲鳴嶼の表情は、まるで明王像のように、世を救うための忿怒(ふんぬ)が顔にあらわれているようにも見える。
柱稽古として、悲鳴嶼は「反復動作」と呼ばれる方法を一般隊士たちに教えていた。これは身体に眠っている潜在能力を引き出すために「反復動作」を行う、というものなのだが、彼の場合は「怒りや痛みを思い出す」ことが、その引き金になるのだという。大切な家族や、自分を守って亡くなった炎柱・煉獄杏寿郎を思い出しながら反復動作を行う炭治郎とは、対照的だった。
悲鳴嶼の悲しい過去
かつて悲鳴嶼は、鬼狩りの剣士になる前に、寺で身寄りのない子どもたちを育てていたが、寺の子どもの1人が鬼に脅され、「鬼よけ」の藤の花の香炉を消し、寺の中に鬼を引き入れてしまった。8人いた子どもの内、7人が鬼に喉をかき切られて死んだ。悲鳴嶼は子どもたちを守ろうとしたが、1人を除いて、子どもらは盲目の悲鳴嶼の言葉を聞かず、彼のそばを離れたがゆえに死んでしまった。
自分を裏切って鬼の言いなりになった子ども、悲鳴嶼を信頼せずに勝手に逃げようとして死んでいった多くの子どもたち…。「悲しみ」だけでは言い表せない気持ちが、今でも悲鳴嶼の心に押し寄せる。
「子供というのは 純粋無垢で 弱く すぐ嘘をつき 残酷なことを平気でする 我欲の塊だ」(悲鳴嶼行冥/15巻・第135話)