岩柱・悲鳴嶼行冥。アニメ「柱稽古編」公式HPの第7話「あらすじ」より。(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

悲鳴嶼は何に憤るのか?

 あの時、子どもたちは盲目の悲鳴嶼を侮ったように見えた。悲鳴嶼もまた、彼らをあたかも非難しているような言葉を口にする。

「当時の私は食べる物も少なく痩せ細っており 気も弱かった」
「目も見えぬような大人は 何の役にも立たない」
「三人の子供たちは私を当てにせず逃げ…」(悲鳴嶼行冥/15巻・第135話)

 しかし、これらの言葉は、悲鳴嶼による「当時の弱かった自分」への自嘲を含む。無垢な「子ども」という存在を鏡にして、悲鳴嶼自身が見つめる己の姿を映し出す。弱かった自分、信頼されなかった自分に対する無念がにじむ。

悲鳴嶼行冥がとらわれる思い

 あの時、鬼から守り通すことができた、唯一の生き残りの少女・沙代に、悲鳴嶼は「ありがとうと言って欲しかった」という思いを持ち続けている。しかし、彼女はまだ4歳という幼さだった。うまく状況も説明できないと分かってはいた。

「恐ろしいめに遭い 混乱したのだろう」「しかし私は、それでも沙代にだけは労ってほしかった」(悲鳴嶼行冥/15巻・第135話)

 命がけで守ろうとしたものの、子どもたちは、最終的には誰も悲鳴嶼の言うことを理解しようとはしてくれなかった。「子どもとはそういうもの」と、悲鳴嶼は自分に言い聞かせる。

悲鳴嶼の本心

 それでも、アニメ第7話では悲鳴嶼が、寺にいた子どもたちを思い出す時、彼のすぐそばを楽しそうに駆け抜ける幼い少年少女たちの姿が描かれた。思い出すのは、先生、先生と悲鳴嶼を慕う、子どもたちの笑顔。

 彼は自分のことを“信頼してくれなかった”寺の子どもたちに、本当は何を伝えたかったのか。子どもはうそつきで、残酷で、我欲の塊。しかしそんなことを口にしたいわけではない。鬼の襲撃の際、自分を信じて、自分のそばから離れないでほしかった。そして、彼らの命を救いたかった。のちに悲鳴嶼が心の底から口にしたのは、こんな言葉だ。

「お前たちを 守ってやれず…すまなかった」(悲鳴嶼行冥/23巻・200話)

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「我ら鬼殺隊は 百世不磨」