1982年には離婚した2人だったが、その後も清水氏がクーコさんの新曲やイベントをプロデュースしたという。 清水氏が再婚すると、クーコさんはイギリスに。しかし、帰国した際にがんが見つかり、38歳の若さで亡くなった。清水氏が喪主を務めたという。

  2人目の妻はバイク好きだったという。その影響で清水氏はレースの世界に入り、10年間、本格的にレーサーとして活動した。国際A級ライセンスも取得し、国際レースにも出ていたという。

「その間に13カ所骨折しました。最高速度285キロのオートバイですから」

鈴鹿8耐(鈴鹿8時間耐久ロードレース)に出場したときの清水氏(事務所提供)

 2人目の妻との間には3人の女の子が生まれたが、約12~13年の結婚生活を経て別れた。それでも、

「今も付き合いは続けています。僕のコンサートがあると、子供たちが孫を引き連れて、声援に来てくれます(笑)」

 3度目の結婚で男の子が生まれたが、これまた離婚へ。

妻4人、子供計5人、孫も5人「少子化対策はお任せを」

「妻はヒップホップダンサーだったんですけど、40歳になったときに『ダンスのためにフランスに行きたい』って。私は『40歳になって俺と子供を置いて、フランスに行くってどういうことよ』と聞いたら、彼女は『あなたを見習ったのよ』って言うんですよ。そういえば俺は40歳のときにメチャクチャしていたなと。俺はチャレンジするけど、妻は主婦をやれっていうのもフェアじゃないなと思って、『よし、じゃあ子供の面倒は俺が見るから』っていうことで、彼女がフランス滞在中に離婚しました」

 そして2018年3月に25歳年下の一般女性と4度目の結婚をし、男児が誕生した。現在は家族3人で暮らしているという。4度の結婚で、

「妻は4人、子供は女子3人、男子2人の計5人。孫も5人います。少子化対策は任せておいてください(笑)」

 清水氏は、小池氏が知事給与を半額にしている点についても触れ、 

「私が都知事になったら給料はいりません。年金がもらえるから、“年金知事”でいいです」

 とのこと。そしてこう続けた。

「人生でのラストチャンスだと思っています。もう、テレビやメディアの世界に戻ることは考えていません。背水の陣で挑みます 」

(AERA dot.編集部・上田耕司)

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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