「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。
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6月になりました。梅雨入り直前の爽やかな陽気が、私は1年で一番好きです。どこかに出かけたくなりますね。
この時期になると思い出すのが、足が不自由な息子(現在は高校2年生)が小学6年生の時に行った修学旅行のことです。障害のある子どもの気力と体力は、その場の環境で大きく伸びると確信した場面でもありました。今回は息子のことを書いてみようと思います。
行事のたびに事前打ち合わせ
息子が通った小学校は、6年生の6月の第1週に京都・奈良へ修学旅行に行きました。息子はその直前の5年生の終わりに、雪国への宿泊学習に保護者の付き添いなしで参加していたため、修学旅行も付き添いなしの方向で準備が進んでいたものの、やはり学校との多少の事前調整は必要でした。
まずはお寺での座禅体験です。息子はひざ下が不自由なため、正座をすることもあぐらをかくこともできないのですが、私の知識が乏しく「座禅体験で正座ができないことが失礼に当たるのか?」というある意味的外れなところから始まりました。お寺からの回答は、「気持ちを込めれば座り方は問題ない」というもので、さすがだと深く納得し、その他の流れに関しては学校の判断にお任せすることにしました。
小学校に入学してから、校外学習や宿泊学習や運動会など身体を使う行事のたびに、安全面などを考慮して打ち合わせをすることが多くありましたが、6年目になったこの頃には、事前に限界を決めない方が良いと思っていました。たとえば、「○○までは参加し、△△は待機」と決めてしまうと、その日の息子の足のコンディションによっては再調整が必要になります。その場で柔軟に「できること・できないこと」を担任の先生に判断していただく方が、結果的に学校に負担をかけないような気がしたのです。何より、息子が自分で考えて動くことになるので、中学に進学後の自立に向けても、自分の身体を客観的に判断する力をつけてほしいと思いました。学校もその考えにとても理解を示してくださり、修学旅行は特別な配慮をせずに参加してみることとなりました。