オフの日は映画館に行くか、サウナに行くか、誘われたら飲みに行くか。「自分から誘うことは……絶対しないかも(笑)。あ、でも最近は会う機会もなかなかないので誘うこともあります」(写真:篠塚ようこ)

 中学でいったんダンスから離れたが、高校で念願のダンス部に所属。80人の部員をまとめるリーダーとして活躍した。

「出しゃばりなんです。いまも物事がなかなか進まないとか、誰かが困っているような場面で『いや、いまこの人がこう言えば進むのに!』って、すぐに仕切りたくなる」

 ダンスのジャンルはロック、またはロッキン。マイケル・ジャクソンのダンスのようなファンクっぽいキレのある動きだ。子ども番組の曲に合わせてランドセルを背負いながらキレッキレに踊ったり、テーマパークのダンサーふうの踊りをしたり。振り付けや構成、照明や音まですべて自分たちで作り上げ、発表をする楽しさを知った。公演を終えて外に出たとき、柱にもたれて涙を流している後輩の女の子を見たときのことは忘れられない。自分たちが作ったもので人がこんなに感情を揺さぶられるんだ。いつしか表現をすることを仕事にしたい。人と一緒に作ったものをお客さんに届けることを一生やっていきたい、と思いはじめていた。ダンサーではなく、なぜ俳優を選んだのかはわからないと河合は言う。

「ダンサーよりもいろんな方法で、自分の身体のいろんな可能性を使ってできる職業なんだ、って直感で思っていたのかもしれません」

 さらに高3の8月にミュージカル「コーラスライン」の舞台を観て思いは決定的になった。やっぱり私はこれに人生を賭けるべきじゃないか? 帰り道、普通大学から演劇コースのある日本大学芸術学部に志望校を変えた。そして俳優への道に舵(かじ)を切った河合を待ち受けるかのように、運命の女神が手を差し伸べてくる。

 同じ9月、東京・中野の「ポレポレ東中野」で監督の山中瑶子は河合に出会った。山中が19歳で完成させた映画「あみこ」の上映。制服姿の河合がサインの列に並んでいた。山中は言う。

「『映画に感動しました』と言ってくれて、嬉しくてポレポレの前の線路沿いのフェンスのところで話をしました。『俳優になりたいんです。いまはまだ具体的に何もしていないんですけど』って手紙を渡された。私も当時21歳でけっこう無双感があったんですが、それを上回るエネルギーを感じました。勝ち気だなあって。これからどんどん何かに向かっていくんだろうなというオーラを感じました」

(文中敬称略)(文・中村千晶)

※記事の続きはAERA 2024年6月10日号でご覧いただけます

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