「(祖父が)大好きだった。無口だけどいつも笑顔で。遊びに行って帰るときはいつも500円玉をくれて握手かハグをして別れました」
祖父の話をする間、ずっと涙を流し続けた。そのくらい大きな存在だった。
スケートボードを始めて以来、夢は「X Games」や「ヴァンズパークシリーズ」に出ることだった。前者は多種類のエクストリームスポーツを集めた大会で、全米で放映される。後者はスケートボードのパークのコンテストとしては世界最大規模のツアー。それらの舞台を踏むことを全スケーターが渇望する。草木も同様だった。東京五輪で初めて正式競技になったスケートボードは、選手にとって五輪の位置付けが他競技と異なる。
ところが初めて日本選手権を制した際、メディアから五輪のことばかり尋ねられた。X Gamesには誰も触れてくれない。周囲の期待と自分の夢との落差に、当時13歳だった草木は戸惑った。昨夏、スポンサードを申し出てくれた人からも「まずはオリンピックに出よう」と言われた。
「スポーツと遊びは違うって思う」と率直に話したら、どちらも同じ世界大会なのに、何が違うのか? 参加する人も同じじゃないかと言われた。当時けがをしていたため、そのことと向き合う時間がとれた。ひとりで考えた末、「パリ経由~X Games行き」の道を切り開くことを目標に定めた。
オリンピックってどんな場所?という質問に、「自分を出し切る場所」と答えた。
自分の夢のため、愛情を注いでくれた亡き祖父のため、全力でパリを目指す。(ジャーナリスト・島沢優子)
※AERA 2024年6月10日号