太平洋戦争末期に疎開生活を送った旧日光田母沢御用邸を訪ねた上皇さまと上皇后美智子さま。おふたりで手をつなぎ、穏やかな表情で庭を散策された=2024年5月28日、栃木県日光市、JMPA
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 上皇さまと上皇后美智子さまは5月28日から4日間、私的な旅行として、栃木県日光市を訪れた。上皇さまは戦時中、市内の旧日光田母沢御用邸に滞在し、1年間の疎開生活を送っている。小雨が降るなか、おふたりはひとつの傘に入り、旧御用邸を散策しながら当時の思い出を語り合われたようだ。

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 上皇さまと美智子さまは、しっかりと手をつなぎながら、緑に囲まれた庭をゆっくりと歩かれていた。上皇さまは懐かしそうに周囲を見渡し、旧御用邸の前に来ると、おふたりで建物を見上げた。

「あの、お2階で?」

 美智子さまがたずねると、上皇さまは右手で2階部分を指し、

「あそこの2階で勉強してね」

 と、美智子さまを振り返って説明をした。

太平洋戦争末期に上皇さまが疎開生活を送った旧日光田母沢御用邸の思い出を懐かしみながら、仲睦まじく手をつなぐおふたり=2024年5月28日、栃木県日光市、JMPA

 国の重要文化財にも指定されている旧日光田母沢御用邸は、1899年に大正天皇の静養先として造営された。106の部屋がある大規模な建物で、1947年に廃止されるまで3代にわたって天皇と皇太子が滞在したご静養地だ。

 太平洋戦争末期、学習院初等科5年だった上皇さまは、1944年7月から翌年に奥日光に移るまでの1年間、旧御用邸に疎開。学習院初等科の3年生と5年生の100人ほどの生徒たちは日光金谷ホテルに滞在し、東京大の日光植物園に設置された疎開学級へと通っていたという。
 

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「ここに机を置いて勉強し、こちらが寝室」と上皇さま