東京・高円寺Pundit'で開催した「おれたちがインターネットだ」という恐れ知らずのイベント。ロケットニュース24編集長のGO羽鳥(右)とフリーライターの岡田有花(左)と共に、ネット世界をもっと面白くできそうな方法について語り合った(写真:伊ケ崎 忍)

 大学を卒業した林は、1993年に富士通子会社のジー・サーチに入社。同社はパソコン通信を使って新聞記事のデータベースを閲覧できるサービスを展開しており、林も営業で新聞社を回った。

 そこで社内エンジニアから初めてインターネットの存在を教えられ、衝撃を受ける。

「文字しか出なかったパソコン通信と比べて、デザインもできるし画像も載せられる。会社に頼らなくても、個人で世の中にコンテンツを発信できる時代が来たんだと思いました」

 その直後に、林は富士通のインターネットブラウザのネット販売を任され、そこでHTMLの書き方を学ぶ。さらに翌年、インターネット接続機能を搭載した「Windows95」が発売。家庭にもパソコンが普及し始めるのと同時に、個人向けホームページサービスも登場した。

駅のトイレを写真で紹介 「東京トイレマップ」が注目

「それで自分も個人サイトを作ろうと考えたんです。ただ黎明(れいめい)期のネットでホームページを作っているのはエンジニアが多くて、真面目な内容ばっかりだったんですよ。それじゃつまらんから、俺は駅のトイレの写真でも載せたれと思って」

 そうして完成したのが「東京トイレマップ」だ。駅のトイレ環境を写真付きでレビューした同サイトは、96年に公開するや否や注目を集め、多くのメディアに取り上げられる。

 さらに同年、「酔っぱらって駅で寝ちゃったおじさんを紹介したい」という理由から、もう一つの個人サイト「Webやぎの目」を開始。後に、同サイトのコーナーで、読者のさまざまな低レベルな臨死体験を集めた「死ぬかと思った」は爆発的な人気を集め、書籍化されるとシリーズ累計150万部を超えるベストセラーとなる。

「当時は皆、どれだけ変わったことができるかを競い合っていた感じがあります。今はサイトの設計段階からSEO対策をしっかりしてみたいなのが主流ですけど、全く別の世界の話に感じますね。ふざけたいんじゃなくて、お金儲けが目的になっちゃった。僕がやりたいのはそっちじゃない」

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