大学では様々なトライ&エラーを試みることができる。学生時代の取り組みが今に生きている、大阪芸術大学芸術学部卒の映画監督・石井裕也さんに話を聞いた。AERA 2024年6月3日号より。
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──宮沢りえさんが主演を務める「月」でも話題の映画監督・石井裕也さん。26歳にして商業映画デビューを果たし、ヒット作「舟を編む」(2013年)を撮ったのは29歳のときだ。早熟の才は大阪芸術大学時代に花開いた。
僕は7歳のときに母を亡くして父に育てられました。そのせいかはわかりませんが幼いころから厭世観というか「死んだらそれまでだ」という感覚があって、10代からアジアや世界の危険な地域を旅したり、けっこう無茶なこともしていました。
いっぽうで絵や物語を書くのは好きで自分の感性にすごく自信があった。世の中に対する反発もすごくあって自分のなかのモヤモヤを表出する方法が「映画」だと思ったんです。高校生のときに映画監督になりたいと思い、大阪芸大に進みました。自分と同じような同級生がたくさんいましたね。社会のどこにも居場所を見つけられずに漂流しているような人たちが集まっていた。
──180人ほどの同級生たちの中から仲間を集め、すぐに8ミリや16ミリフィルムで映画作りを始めた。4年間で長編を2本、短編を数え切れないほど完成させた。
映画は一人じゃ作れないんです。いろんな人の力が絶対に必要。しかもほぼ全員が監督をやりたがっている。その中でもみんなの力を集めてひとつのことを成し遂げられる人と、そうなれない人はやっぱりいました。僕はガキ大将タイプだったんだと思います。根拠もまるでないのに、自信だけはあって「なんか石井についていくと、おもしろそうだぞ」と思ってもらったのかなと。僕らはデジタル世代の過渡期でまだフィルム撮影が主流。16ミリフィルムで長編を撮ると300万~400万円かかるんです。みんなでバイトをして、すべてのエネルギーをつぎ込んで作品作りをしました。
「今しか時間ないよ!」
大半の人が映画を完成させる前にどこかで挫折するんですよね。監督として自分で企画して推進していたにもかかわらず、どこかで迷いが生じたり、牽引する力がなくなってしまう。そうならないためには誰よりも監督が事前に準備をして、考えを尽くしておくことしかないんです。絶対にぶれないものを持って、そこにたどり着くという確固たるものがないと映画は作れない。それはいまプロの映画監督になっても同じです。