
若かった私が吸い込まれるように夜の歓楽街へ入り、知らぬ間に裸になってまでそこに居続けたのは、そういう場所には自分の価値を実感しやすい安易な仕掛けがたくさんあったからなのだとなんとなく思います。自分に値段がつけられてそれが実際に支払われることも、男が自分に興奮するところを目の当たりにできることも、若い私が自己肯定感を高めるには重要な仕掛けでした。簡単に手に入るそれらがどんなにチャチな価値であっても、まだ自分の形の定まらない女にとっては、輪郭を与えてくれるような気がしてしまうものなのです。
“ちやほや”の裏の罪悪感
既婚者との恋愛やセックスもまた、モテへのコンプレックスや自己評価の低さと格闘するまだ若い女にとっては自分の女としての価値みたいなものを実感する契機になりがちです。まず、未婚女性と遊びたい既婚男性は、結婚を最終的な目標に置いて恋愛する女性たちの眼中に入らないので、女性側としては競合相手が相対的に少なくなります。男性側も、既婚男性でもOKと言ってくれる都合の良い女が貴重だということは分かっているので、一度見つけたら手放さないようちやほやしてくれます。
男に小さな罪悪感や後ろめたさがあるため、財布の紐や女性のわがままに対する牽制も緩みがち。安定した家庭はすでに手に持っているため、それとは別の刺激や楽しさのみを目的とした恋愛やセックスは面倒ごとと無縁で煌めきやすいわけです。
一対一の関係を求めているわけではなく、あくまで人生のサイドディッシュなので、相手への要求もそんなに高くありません。普通の男が感じがちな自分の恋人の将来への責任感などを放棄している分、何かしら別のことでその罪の意識を帳消しにしようとする。そういう男の心理が、目の前の浮気相手に甘く、普通の恋愛よりハードルの低い「幸福」みたいなものを提供するわけです。