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東京の会社に就職が決まった母はやっと完全に家から逃げられると思っていた。ところが卒業間際に祖父が病で半身不随となった。祖父の会社は設備投資により負債を抱えていた。ワンマン経営のツケが回り、会社からは人が離れた。

まともに字を読めない祖母を手伝うため、母は就職を諦め実家に帰った。会社は売却先が決まり、お金だけが残った。
その頃に出会ったのが父である。根っから明るい父のことは以前のエッセイ(「ニコニコ顔にはニコニコ顔が集まる」。父の教えが招いた思わぬ苦労)で書いたが、この人となら楽しい家庭が築けると思った母は26歳で結婚した。

虐待は連鎖すると言うが、憧れの家庭を手に入れた母は私に身体的暴力を振るわなかった。でも、母と私の関係は振り返ると少しいびつだった。
ちょっとしたことで母の機嫌を損ねた。例えば、私が遊びに行く際に母が自分から買って出た送迎。正確な待ち合わせ時刻を決めていなかったのに、少しでも待たせると事情も聞かず怒られた。父の親戚の愚痴や政治への意見に同意を求められた。幼い頃、片付けができず持ち物を全部捨てられたこともある(これについては後年謝罪を受けた)。
その反面、お出かけのたびにおもちゃや服を買い与えられ、喫茶店に連れられ、家の中では「あなたは賢くて美しい」と何度も抱きしめられた。

子どもの頃に満たされなかった母の心のすき間と傷。母の一連の行為は寂しさに由来していた。楽しいことが多かったけれど共依存と言える関係を築いた母と私は、互いに親・友達・恋人・子どもの役割を補完し合った。

「全部、相手に合わせれば怒られない」。私は周囲の顔色をうかがう人間になった。

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