Z世代の女性向けエッセイ投稿サイト「かがみよかがみ(https://mirror.asahi.com/)」と「AERA dot.」とのコラボ企画の第2弾。「わたしと『母親』」をテーマに、エッセイを募集しました。多くの投稿をいただき、ありがとうございました。
投稿作品の中から優秀作を選び、「AERA dot.」で順次紹介していきます。記事の最後には、鎌田倫子編集長の講評も掲載しています。
ぜひご覧ください!
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「結婚は、私に残された最後の逃げ道」。
若かった母の気持ちを代弁するとこんな感じ。
母は祖父、つまり母の父から虐待されて育った。背中に傷跡と、外見では分からないが、鼻の骨が歪んでいる。酒に酔った祖父に繰り返し殴られてできた傷跡だ。
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祖父と、そんな祖父との離婚を選ばなかった祖母には事情があった。二人とも亡くなっているので、生前の本人の話や母の話しか手がかりはないが。
祖父は遊び人の父のもとで育った。当時は国民学校と呼ばれた小学校に通っていた頃は戦争のために学びの機会を奪われ、代用燃料の松やに採集に明け暮れた。欧米人のような容姿だったので、「鬼畜米英」といじめられた。
暗い幼少期を持つ祖父だが、一代で会社を興した。それでも酒に酔うたびに暴れた背景には、子どもの頃のトラウマがあった。
そんな祖父に振り回された祖母は、父を戦争で亡くし、母子世帯で貧しく育った。お弁当のおかずを裕福な友達の卵焼きと交換してもらったそうだ。幼かった私は分からないなりに、その交渉術に「ばあちゃんすげえ」と思っていた。
けれども貧乏がみじめだったのだろう。稼ぎまくる祖父からは離れず、祖父の見栄で「着飾った奥さん」を演じた。毛皮を纏い、金の腕時計をはめていた。
共に中卒で学歴コンプレックスがあった両親のもと、母は衣食住と教育にはお金をかけてもらった。十分な愛は注がれなかったが、勉強に励み、地方から東京の大学に進むことで暗い家庭から逃げることができた。