母から教わった「なすとひき肉のキーマカレー」(撮影/原ヒデトシ)
母から教わった「なすとひき肉のキーマカレー」(撮影/原ヒデトシ)

 新人時代、給料日は、配属先のNHK本放送局の近くにある洋食屋で、カレーを食べるのが楽しみだった。肉は柔らかく、バターライスとの組み合わせが最高。

「おいしいし、体は温まるし、ハッピーホルモンがわいてくるんです。焼き肉を食べるのに似た感じで、元気が出ました」

 2010年、「あさイチ」のリポーターに抜擢(ばってき)された。だが、初回の出演の1週間前、母がすい臓がんで亡くなった。

 どうしたら母を感じられるだろう。いろいろ試すうちに、よく作ってくれたなすとひき肉のキーマカレーに行き当たった。何度も母のカレーを作ってみた。

「当たり前の味だと思っていましたが、自分で作っても母の味には近づけられなかったんです。カレーに母の生きた証しが詰まっていたんだと思いました」

 作ってみて気づいた。その時によって味が違う。少しずつ上達していく実感もあった。もう少しカレーのことを知りたい。時間を見つけては作るようになった。

 決定的な転機は、36歳のとき。交通事故に巻き込まれた。信号待ちをしていたところ、交差点でバイクと車が衝突、バイクが内藤さんの目の前に飛んできた。バイクはポールに当たって跳ね返されたため、内藤さんは直撃を免れて、足の打撲で済んだ。

 警察官から「もしポールがなかったら、バイクに当たって即死か大やけどだったでしょう」と言われて、こう思った。

「いつ人生に幕が下ろされるかわからない。たった一度きりの人生を思いっきり生きたいって、自分が変わった気がしたんです」

 アナウンサーの仕事は大好きだった。毎日、新しいことの連続だった。

「40歳を前にして、いろいろ考えさせられたんですよね。50歳の時、10年後の自分はどうしてるんだろうって」

■「カレー好きだよね?」

 若い頃は、自分のことを考えて、好きなことをしていればよかった。でも、母が亡くなった今、父には元気でいてほしいし、そばにいたい。全国転勤があり、多忙な生活を続けていいのだろうか。

 それに、いつまで現役のアナウンサーでいられるだろう。

「一回ちょっと違う景色を見てみるのもいいのかな」

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