「今回は1位を意識して、他の選手の演技を見ながら優勝がチラつく部分もありましたが、自分の気持ちをコントロールできた。それは、結果が、僕を支えてくださった人への恩返しになると思っていたからです」
この目標の定め方が功を奏し、世界の頂点に立った。
引退会見でも、スケート人生の中で最も思い出に残る瞬間を、こう挙げた。
「世界選手権で初優勝した後のステファンの喜んでいる姿が、自分にとって記憶に鮮明に残る思い出です」
この「恩を返す」という美学は、他の場面でも体現してきた。北京五輪以降は、得点を待つキス&クライやリンクサイドに、コーチだけでなく出水慎一トレーナーを帯同。その理由を当時こう語った。
「トレーナー業って、本来なら一度も(公の場面に)顔を出すことがない。五輪のリンクサイドに立ってもらったことで、普段支えてくださる方が、皆に見られたことが嬉しいです」
感謝の気持ちは、引退の会見でも改めて伝えられた。
「僕は本当に出会う人たちに恵まれたなと思っています。周りの方々が、僕が好きなようにのびのびとやれるようにサポートしてくださって、全力を出せたことが、素晴らしい結果につながりました」
(ライター・野口美恵)
※AERA 2024年5月27日号より抜粋