鬼殺隊の狂気「最終選別」
義勇の心に大きな傷を残した「最終選別」。『鬼滅の刃』の連載当初から、読者の間でも、「選別」のあまりの過酷さに、納得できないという声が度々あがっていた。離脱者を救うシステムが確立されておらず、多くの入隊志願者が死ぬからだ。
「この藤襲山には 鬼殺の剣士様方が生け捕りにした鬼が閉じ込めてあり 外に出ることはできません」「この中で七日間生き抜く それが最終選別の合格条件でございます」(産屋敷耀哉の子どもたち/1巻・第6話)
鬼を倒すために使う「日輪刀」は、この最終選別の後に正式に“自分の刀”が作られ与えられる。つまり、入隊志願者は、己の力を発揮するのに必要な「自分のための武具」すら、手元にない状態なのだ。入隊試験を断念することはできるものの、悲鳴を上げても、鬼に喰われそうになっても、先輩隊士や「柱」たちは、ここでは救ってくれない。まさに狂気のシステムである。
無数の子どもたちがなすすべもなく、死んでいく。鬼殺隊入隊を志願するということこそが、「死」を受け入れたことと同義になるのだ。
それでも「最終選別」が必要な理由
隊士の実力を比較すると、「柱」たちは別格として、あとに続く実力者が見当たらない。炭治郎、カナヲ、善逸、伊之助、そして「鬼喰いの異能」を手に入れて急激に成長した玄弥以外で、「十二鬼月」に秒殺されない剣士はいったい何人いるというのか。
最終選別の結果を聞いて「そうか 五人も生き残ったのかい 優秀だね」と話す鬼殺隊総領・産屋敷耀哉は、完全に「常軌を逸している」。彼の目的はどこにあるのか。
この狂気の「選別」で本当に探しているのは、鬼殺隊の層を厚く支える大勢の剣士なのではなく、無惨や上弦の鬼を倒せるような「次世代の柱候補」だけなのではないかとすら思える。死にゆく数多の志願者を見送りながら、耀哉はこの異常なシステムを中止することはない。
鬼殺隊という集団は、このように破綻寸前ギリギリの状態で、なんとか維持されているのだ。耀哉の命もまた死の間近にあり、悲劇は加速度を増していく。