少林寺拳法は高校時代に2年やっただけ。でも、心の持ちように大きな影響を受けた。『源流Again』の延長で高校を訪ね、いまは部活がなくなったと聞いて寂しい(撮影/山中蔵人)

リポート書きの最中ドアを叩く「同期」に飲み直しへ出かけた

 思い出は、やはり「夜の職場」だ。仕事が終わると小森さんたちと電話局近くの居酒屋へいき、飲んで、また叱られながら、様々なことを教わる。

 たまに月1回は義務付けられていたリポートを書こうと、東寄りへ車で40分ほどの土浦市にあった独身寮へ、早めに引き揚げた。ところが、ほどなく部屋のドアを叩かれる。「おい、何をやっているのだ、いくぞ」と声を上げるのは、同年齢のラインマンたち。まだ飲み足りないのか、まだ不出来な大卒の「同期」を怒り足りないのか。当然、書きかけのリポートを閉じて、一緒に出かけた。

 電話線を家へ引き、修理を終えると、利用者に「ありがとうございます」と感謝され、淹れ立ての茶を出してもらった。電話網を支える「ラインマン」らとの交流は、そんな利用者の思いに触れた体験と並ぶ、新人時代の宝物。『源流』からの流れに、強さを加えてくれた。

 大阪府池田市で1955年7月に生まれ、4歳のときから中学校を出るまで同府吹田市で暮らす。父母と姉の4人家族で、ごく普通の子どもだった。ところが、転居した京都市で通った京都府立桂高校の校風の自由さで、一変する。生徒会や文化祭で活躍したほか、部活で1年生の後半に少林寺拳法部を選んだのが大きかった。

「強くなりたい」と思って始めたが、生き方の教えにいくつも出会い、心に刻んだ言葉も少なくない。前号で触れた「他人の幸せは大事だが、その前に自分の幸せがあって他人の幸せだ」と説く「力愛不二(りきあいふに)」も、その一つ。それが電話の利用者のそばで工事をする自分の思いに重なり、『源流』の水量を増す。

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