同い年の「先輩」に怒られ教わって通信の世界を覚えた

 この3月、日本電信電話公社(現・日本電信電話=NTT)で新人時代の1年3カ月を過ごした水海道電報電話局の跡を、連載の企画で一緒に訪ねた。45年ぶりだ。電話局は、すべてが機械で自動化された電話交換所へ、姿を変えている。でも、4階建てのビルだった局はなくても、周囲を巡れば、様々なことが鮮やかに浮かんでくる。

 電話工事へ出て、電信柱を立て、電話線を引くと、それが全国へつながる。日々、便利さに喜ぶ利用者のそばにいて「この現場の仕事が、全国の電話網を支えている」とのわくわく感を得た。澤田純さんがビジネスパーソンとしての『源流』になったとするこの体験は、いまの若者たちへの示唆に富んでいる。

 電報電話局は当時、高校を出て入社した人々に支えられていた。窓口での料金支払いや電話の設置申し込みに対応する営業課、電話線を住宅などへ引いていく線路宅内課、電話番号問い合わせの「104」など、水海道では総勢約240人のうち、大学卒は数えるほどだった。

 その一人として、入社研修を終えて1978年6月、線路宅内課へ配属された。まだ電話を全国へ普及させていく時代。京都大学工学部の土木工学科で学んだのは、橋の建設などに活かす技術や知識で、通信の世界は素人に近い。知らないことだらけで工事に参加し、戸惑いや失敗が続く。電話線を引いて、修理もする「ラインマン」と呼ぶ面々に怒られ、鍛えられた。おかげで、通信の世界を覚えていく。たいへんではあったが、現場の一体感が、楽しかった。

『源流Again』では、電話交換所の前で、ラインマンを束ねた小森幹夫さんが待っていてくれた。高卒で、年齢が10歳も上ではない係長で、兄のような存在だった。ときどき当時のラインマン仲間との会合を開いてきたが、コロナ禍の影響もあって、会うのは約10年ぶりだ。

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