※写真はイメージです。本文とは関係ありません(Hakase_ / iStock / Getty Images Plus)
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 日本人は謙虚で遠慮深く、相手の気持ちを察するのが得意だと言われる。しかし、その美徳は世界で通用するとは限らない。90万部を突破した人気シリーズ『頭に来てもアホとは戦うな!』の著者が、「遠慮するな!」と訴える理由とは――。

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日本の美徳は世界の迷惑。遠慮を今すぐやめるべし!

 海外に出ると、日本のことがよくわかる。

 シンガポールに移住してから、私は「日本の常識」が「世界の非常識」であることに、たびたび気づかされた。

 その一つが、「遠慮」である。

 日本では遠慮することが美徳とされ、遠慮のない人間は軽蔑される。

 しかし、世界では遠慮は迷惑でしかない。遠慮とは相手の期待に応えようとする行為だ。つまり、相手の期待を読み切る力がない限り相手の期待には沿うことがきでない。均質性の高い日本では相手も同じような考えであることが多いので遠慮が成り立つことがあるかもしれない。

 しかし、日本には外国人も増えてきた。そして日本人ばかりでビジネスをやっていても顧客や取引先は外国人ということも増えてきた。それに同じ日本人でも新しい世代は全く違う感覚を持っている。こうなると遠慮は相手の期待に沿えないことが多くなる。

 また、遠慮は相手の時間を奪い、相手のタイムコストを高くする。新企画のプレゼンをされたとき、すぐに「No」というと相手の気分を悪くすると思いがちだ。いきなり断るのは悪いと思い、「そうですねえ」とか「考えてみます」などと言って返事を引き延ばす。そして相手に妙な期待を持たせ、時間を経て最後に「ごめんなさい」となるのだ。その間に相手はYesを期待して時間や資源をかけて準備してしまう。

 相手にしてみれば、「なぜ最初にNoと言わないのか?」という話である。さんざん遠慮して、時間をかけてから断るのは、相手の時間やかけた他の資源の無駄使いに他ならない。遠慮すればするほど、相手に迷惑をかけ、相手のタイムコストが増えるのである。

 だから私は、「遠慮しても何もいいことはない」と声を大にして言いたいのだ。相手も忙しいし、ダメならお互い次に早く移ったほうがいい。お互いが意味なく「モヤモヤ」したままでは何の意味もないのだ。

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