埼玉いのちの電話の電話センターで、受話器を握る相談員たち(撮影/大谷百合絵)※画像の一部を加工しています
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 悩みや不安を抱える人からの電話相談を受ける「いのちの電話」。高齢化やライフスタイルの変化に伴ってボランティア相談員が不足し、全国的に厳しい運営を強いられているという。半世紀の歴史を誇る、いのちの電話の現状は? 発足当初から活動を支えてきた、埼玉いのちの電話のレジェンド相談員・安藤康江さん(仮名/85)に、自身の相談員人生と、草の根の市民活動が担う役割について語ってもらった。

【写真】いのちをつなぎ止める踏切脇の看板

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――どうして相談員になったのですか?

 自分から、何か社会のために!と思っていたわけではないんです。1971年に、いのちの電話の活動が東京でスタートした時に、同じ(キリスト教の)教会に通っていた方から「一緒にボランティアをしない?」と誘われたのがきっかけです。32歳のころですね。

 東銀座にある、プラントの設計会社で英文タイピストをしていたの。東京いのちの電話の事務所は飯田橋にありました。24時間体制だったから、夕方仕事が終わると飯田橋に行って、仮眠をとりつつ朝8時まで電話を受けて、そのまま会社に行く日もありました。

「すっかり生活の一部になっています」

――埼玉へはいつ?

 埼玉いのちの電話ができたのは91年です。埼玉から東京に通っていた相談員30人くらいが集まって、私も立ち上げメンバーに加わりました。当時を知る人はもうほとんどいなくなっちゃった。

 気づけば半世紀以上相談員をしていますね。生きることに不安がある人を支えたいとは思っていますが、何としても相談員を続ける強い信念があったわけではありません。結婚しないまま定年まで会社勤めをして、母親を看取ってからは30年以上一人暮らしですけど、幸い大きな病気もせず、やめる必要がないから続けてきたっていう、本当に淡々としたもので。休んだのは、父が亡くなった時の1回くらいかな。すっかり生活の一部になっていて、だからこそ続いてきたのかもしれません。

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大谷百合絵

大谷百合絵

1995年、東京都生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。朝日新聞水戸総局で記者のキャリアをスタートした後、「週刊朝日」や「AERA dot.」編集部へ。“雑食系”記者として、身のまわりの「なぜ?」を追いかける。AERA dot.ポッドキャストのMC担当。

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