加山雄三さん(撮影/写真映像部・東川哲也)

 カミさん(元女優・松本めぐみさん)との結婚を決めたのも海の上だったかな(笑)。当時は、あまり女性を光進丸に乗せていませんでした。船酔いしてしまう人も多くて可哀想だったので。そんな中、結婚する前のカミさんを光進丸に乗せることになったんです。ただ、なんとも運悪く海がシケてきちゃって。船を操縦しながらも心配で様子を見に行ったら、驚いたことに「どうかしたの?」って感じの平気な顔をして編み物をしていたんです。その姿を見たら、僕の嫁さんはこの人しかいない!って(笑)。

学生時代は俳優業にはまったく興味がなかった

 実は、大学生のころは俳優なんて全く興味なかったんですよ。それに比べて音楽のほうは、小さい時からものすごく好きで。思い出深いのは高校生のとき。家族旅行で宿泊したホテルにグランドピアノがあって、誰もいなかったからショパンの「英雄ポロネーズ」を弾いたんです。いつの間にかたくさんの人が集まってきて、弾き終わると拍手をもらって。それで人前で演奏する楽しさや快感を知ったんです。そのあとギターを練習して、大学時代には「カントリー・クロップス」というバンドを組みました。

 それでも、やっぱり一番好きなのは海と船(笑)。だから、造船とか船に関わる仕事がしたいと思っていたら、そんな僕に向かってバンド仲間の一人が、「バカだなー。俳優になって一旗揚げればお前の好きな船だって買えるぞ。せっかく上原謙という〝のれん〟があるんだから利用しないでどうするんだ」って。船が買えるなら俳優になろうと決心したんです。その仲間からのアドバイスがなかったら芸能の世界には入っていなかったかもしれません。

 幸い役にも恵まれて、デビューの翌年には、僕の代名詞ともなった「若大将シリーズ」がはじまりました。歌やギター、海、スキーなど、得意分野をいかんなく発揮し、シリーズは10年にわたり、17作品にも及びました。ほかにも、黒澤明監督の「椿三十郎」(1962年公開)や「赤ひげ」(65年公開)にも出演させていただきました。撮影が大変だったのは、「八甲田山」(77年公開)。マイナス40度っていう記録的な寒さの中、撮影の初日から3人も凍傷になるほど過酷な現場で、夜は近くの温泉旅館に泊まったけど、昼は食事も雪の上。おにぎりが凍ってしまうくらい寒い。穴を掘って風よけを作り、雪の上にコートを敷いて寒さをしのいでいたんです。今みたいにダウンコートもない時代。「海の男」の僕としては、本当につらい撮影でしたね。

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