家族そろって食事をすることをとても大事に思っていて、子どもが家にいたころも加山家では必ず朝食はみんなで食べる習慣がありました。撮影が深夜に及んでも翌日は朝5時台に起きて、全員の朝食を作る。「神様、今日もおいしいごはんをいただけることに感謝します。ありがとうございます。いただきます」と、家族で祈りを捧げる。何かの宗教に入っていたわけではないけど、これは子ども時代からの習慣。でも子どもたちを学校に送り出したら、もう1回寝ちゃうんだけどね(笑)。家族みんなで楽しく食事をすることは、子どもの成長にとっても大切だし、何より僕自身がリラックスできて、仕事の疲れを癒やしてくれていたんです。
茅ケ崎、そして海が僕のすべての原点
料理で家族に喜んでもらえることを最初に体験したのは、小学生のころ。幼いころから結婚するまでを過ごした茅ケ崎の海は、僕の原点ともいえる場所です。茅ケ崎の砂場で、バケツいっぱいに採ってきたアサリやハマグリをたっぷりのお湯で茹で、しょうゆとみりん、酒で味付けして佃煮を作ったら、おやじ(俳優・上原謙さん)は「うまいねぇ」って喜んで食べてくれて、ご近所に配ったりしてました。
船にみせられ憧れを持ったのも小学校のとき。東京商船大(現・東京海洋大)の学生さんに、家庭教師をしてもらっていて、その彼が設計科だったこともあり、船の設計図をいろいろ見せてもらっていました。「おもしろい!」って思い、自分でもマネして船の設計図をよく描いていたんですよ。
茅ケ崎の海岸からは沖のほうに烏帽子岩(えぼしいわ)が見えるんだけど、「あの島まで行ってみたい」と思って、カヌーの設計図を描いたのは中学生のころ。仲間を集めて僕の描いた設計図をもとに1週間くらいでカヌーを作って、念願の島まで自分たちで作ったカヌーで渡ったときは、ものすごく感動したものです。
本格的に料理をするようになったのは海の上で必要に迫られたからなんです。僕の船、初代の光進丸が進水した1964年、映画の撮影の合間に小型船舶操縦士の免許を取って航海に出るようになり、長い航海に出るときは、料理人を雇って連れて行くわけにもいかないので、料理はすべて僕が担当。グアムまでの2カ月間の航海では、乗務員を飽きさせてはいけないし、僕自身もおいしいものが食べたかったから、毎日、いろんな料理を作ったんです。