TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽や映画、演劇とともに社会を語る連載「RADIO PAPA」。今回は演劇「天才バカボンのパパなのだ」について。
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2008年夏に赤塚不二夫さんが亡くなった時、追悼番組を作った。芸術祭参加のこの番組のタイトルは「忘れたくても思い出せない」。これは赤塚さんが生み出したキャラクター、バカボンのパパのセリフ「わすれようとしても思い出せない」をもじったもの。作家の村上龍さんが教えてくれた。
赤塚さんのギャグはアナーキーさが心地よく、げらげら笑ったのち水蒸気のように消え、「わすれようとしても思い出せない」。
瞬間的で、だから何度読んでも初めてのように新鮮で心が解放される。
不条理劇の第一人者別役実による戯曲で、市川しんぺーがバカボンのパパを演じる「天才バカボンのパパなのだ」を観た(下北沢本多劇場)。実は2度目だったが劇場もあらすじも「思い出せなかった」。
舞台の昭和の雰囲気の、のどかな街角が懐かしい。署長と巡査が引っ越してきた。ここがいいと派出所に選んだのは電信柱のたもと。そこに現れたのがバカボン。雨が降っていないのに傘をさしている。そこに買い物かごを下げてママが通りかかり、パパが四つん這いで走り回る(今日のパパはネコになったと思い込んでいる)……。レレレのおばさんと謎の女が次々に登場し、全く問題ないのに問題が起こり、揉める必要がないのにどこまでも揉める。
宮藤官九郎風に言えば「“不条理”にもほどがある」。