みなさんに今回ご紹介するのは、『プロレスラー夜明け前 (歴史をつくった21人の男たち、そのデビュー秘史と〈真実〉の言葉)』(standards)。レスラーたちの衝撃的な生き様が描かれた同書には、日本のプロレス界の歴史をつくった21人のレスラーたちの、デビュー秘史と真実の言葉が綴られている。
「プロレスラーは、今も昔も、常人とは違うと思う。身体的なそれ、体力的なそれ、何より、リングに上がる気持ちの強さ。そして、それらを分ける境い目にあるのが、プロ・デビュー戦ではないだろうか。振り返れば、そこには現在に繋がる、いくつものドラマが存在する」(同書より)
著者は、これまでもプロレス取材&執筆に従事してきた瑞佐富郎(みずき・さぶろう)氏。同書は幼少期から熱烈な新日本プロレスのファンだった、プロレスラー・大谷晋二郎氏のこんな言葉から始まる。
「僕、猪木さんにスカウトされたんですよ、小学6年生の時」(同書より)
実際にはスカウトとは言い難い状況ではあったものの、猪木氏に当時言い放った「僕、新日本プロレスに入ります!」を大谷氏は有言実行する。そんな大谷少年の憧れの存在だったアントニオ猪木氏。同日にデビューしたジャイアント馬場氏と並ぶプロレス界のエースとして活躍し、言わずもがな日本を代表するプロレスラーの一人だ。
猪木氏が記念すべきデビュー戦の試合後に述べた言葉は、「日本チャンピオンになって、ブラジルに行くのが夢です」。猪木氏にとってブラジルは余りにも馴染みの深い国だった。
1957年の14歳の時、家族とともにブラジルへ移住した猪木氏は、あてがわれたコーヒー園で奴隷同然の重労働に緊縛された過去を持つ。そこに興行で来ていた力道山氏に直接スカウトされたのだ。
1972年に新日本プロレスを旗揚げすると、わずか2年後にはブラジル遠征を敢行。興行的にも大成功し、その収益で現地のサンパウロ法科大学に奨学金制度を創設する。その後、同大学とブラジル政府から、元首相・吉田 茂氏も受賞したことのある「グラン・オフィシャル勲章」を受賞している。他にも猪木氏の超人ぶりを表すこんなエピソードがある。
「堅い木を薪割りしようとしたら斧が跳ね返り、右足に食い込んだ時も、出血を水で流し、しばらくしたら治っていた。プロレスラーになってから、医者に言われたことがある。
『自然治癒力が、常人の数十倍はある』」(同書より)
政界進出も果たし、プロレス以外でも活動の場を広げた猪木氏。逝去直前に「今、やりたいこと」として動画にて言い残した、生涯最後のメッセージを紹介しよう。
「世界のゴミを消していくこと......。世界に向けて猪木しかできないこと。『どうだー!』と大きな声で出せる日がもうそこまで来ています......」(同書より)
猪木氏は、2022年10月に惜しまれながらもこの世を去った。そして死去したのちも、伝説は絶えないという。
ではここで大谷氏の話に戻そう。大谷氏は、1992年に新日本プロレスでデビュー。プロレス入りを許してくれたことへの感謝を綴った、父・大谷裕明氏への手紙の最後にはこう書かれてあったそうだ。
「僕の今からの目標は、アントニオ猪木、藤浪辰爾、そして、大谷裕明です」(同書より)
そんな家族思いの大谷氏にも、猪木氏に負けず劣らずのエピソードがある。小学校高学年になると息遣いが荒くなり、息苦しさも感じるようになった大谷氏。中学に進学後、病院へ行くと「気管支に腫瘍がある」と言われた。しかし手術をすると心肺機能に影響があると言われ、「気合で治す」と手術を断固拒否。自宅療養の末、腫瘍はなくなっていたという。
「プロレスラーは超人であり、常人とは違う。いろんな挫折を味わい、それを乗り越えてこそなれる。そう信じていたので、苦労はむしろ歓迎でしたね」(同書より)
と当時のことを述懐している。まさに超人であり、驚異の精神力といえるだろう。そして大谷氏の名物パフォーマンスと言えば、「プロレスの教科書」である。自身の試合後にリング上かコメントルームで、数々のプロレスに対する金言を「プロレスの教科書、○○ページ」として披露するのだ。
「プロレスの教科書」として印刷されたものがあるわけではなく、現物がもしあったとしても大谷氏しか知らない門外不出の教科書だ。ちなみに「プロレスの教科書」P100にはこう書かれてある。
「プロレスラーが暗い顔してて、誰がプロレスを好きになるんだ。プロレスラーが思いっきりプロレスを楽しんでなくて、一体誰がプロレスを好きになるんだ!」(同書より)
2022年4月、大谷氏は試合で頸椎を損傷。首から下を満足に動かせない状況になった。それでもなおプロレスを愛し、全力でプロレスラーとして生き抜いている。
同書には日本プロレスを設立し、ジャイアント馬場氏やアントニオ猪木氏など多くの後進を育成した力道山氏をはじめ、多くの名レスラーたちが名を連ねる。リングを目指し、その後も闘志を貫いたレスラーたちの人生に胸を熱くしてほしい。