今年の紅白司会に内定している大泉洋(左)と橋本環奈
今年の紅白司会に内定している大泉洋(左)と橋本環奈

 その背景には、同時代的なヒット曲の不足や大みそかにテレビを見る人の減少といった要因も。つまりは音楽の嗜好(しこう)や生活スタイルの多様化によるものだ。それでも、国民的番組を続ける以上はそれにふさわしい数字や注目度を維持したいし、あわよくば盛り返したいのだろう。

 そのため、最近の「紅白」は高齢者向けから若者向けにシフトもしてきた。とはいえ、若者はあまりテレビを見ないので、その中間をとって、80年代あたりを好む層に狙いが定められているというか、希望を見いだそうとしているのではないか。

 なお、黄金時代という意味では70年代もそうだが、もはや古すぎる。その象徴だった山口百恵も、担ぎ出せないままだ。

 その点、80年代ならまだいける。何しろ、その象徴でもある聖子が還暦とはいえ、それなりに健在だ。昨年は娘である神田沙也加の急逝により、出場辞退となったが、その分、今年出場すれば話題と感動を呼ぶだろう。

 その勢いで彼女以外にも80年代的なものをどんどんぶち込めば、そこそこ盛り上がりが期待できるかもしれない。

 また、聖子が最も輝いた80年代前半は「紅白」の音楽的な試行錯誤がかなり奏功した時代でもある。どういうことかというと、日本の音楽には「紅白」的なものと非「紅白」的なものがあり、後者をどう取り込むかが「紅白」の一大テーマなのだ。

 たとえば、60年代のGS(グループサウンズ)ブーム。ザ・タイガースやザ・スパイダースには対応しきれなかったが、その後、沢田研二や堺正章を「紅白の顔」にすることができた。

 そして、70年代のニューミュージックブーム。テレビとの接点が少なく、当時の中高年層にはなじみが薄かったこのジャンルに対応するため、78年にはニューミュージックコーナーが設けられた。庄野真代、世良公則&ツイスト、サーカス、さとう宗幸、渡辺真知子、原田真二が続けて登場、歌い終わったあとにステージ上で整列して紹介されるという異例の趣向である。

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奇跡的な盛り上がりだった1984年の紅白