煉獄杏寿郎。「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」公式パンフレットより (C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

鬼殺隊の剣士として生きるということ

 それでも、家族のほとんどを失った炭治郎にとって、妹・禰豆子を犠牲にして戦うような覚悟は、無限列車の戦いの後にも、まだありませんでした。炭治郎が決断できたのは、妹と「ともに生き、ともに戦うこと」。そして「禰豆子だけは生かす」あるいは「ともに死ぬ」ことだけです。禰豆子1人で死ぬような事態は想像できていなかったのではないでしょうか。実際に、刀鍛冶の里の戦いでは、上弦の鬼・半天狗の攻撃によって、里の人たちと禰豆子の命を前に、炭治郎はどちらを救えばよいのかと迷います。

 このシーンで炭治郎に鬼殺隊としての矜持を思い出させたのは、禰󠄀豆子でした。陽光に焼かれるすさまじい痛みの中でも、禰豆子は兄に他者を助けるように笑顔でうながします。こうして炭治郎は禰󠄀豆子を救うことをここでいったん諦めるのですが、それは見捨てたのではなく、他者を助けたいという「禰豆子の意志に寄り添う覚悟」を決めた場面なのです。「禰豆子の優しい心を守ること」=「人間として生かすこと」なのだと、炭治郎はこの瞬間にやっと体感するのです。

 この後、最終決戦ではおびただしい数の命が失われていきます。鬼への憎しみ、恨みがつのります。救いたくとも救えぬ大切な人たちの姿。その中にあって、炭治郎たち鬼殺隊の人間が「鬼にならぬため」には、人として何を守るのか、自分に問い続けていく必要があります。だからこそ、刀鍛冶の里の戦いで、炭治郎と禰豆子は、「大切なかたわれの死」「自分の死」を通過儀礼として経験しておかねばなりませんでした。禰豆子をただ生かすのではなく、禰豆子の心を守るために、この時、禰豆子の死が描かれる必然性があったのです。

 5月からのテレビ放送では、その場面と、そののちの穏やかな仲間同士の交流が描かれます。いっときの幸せな時間を目に焼きつけて、最終決戦の終わりまで見届けていきたいものです。

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植朗子

植朗子

伝承文学研究者。神戸大学国際文化学研究推進インスティテュート学術研究員。1977年和歌山県生まれ。神戸大学大学院国際文化学研究科博士課程修了。博士(学術)。著書に『鬼滅夜話』(扶桑社)、『キャラクターたちの運命論』(平凡社新書)、共著に『はじまりが見える世界の神話』(創元社)など。

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