【※ネタバレ注意】以下の内容には、アニメ、映画、既刊のコミックスのネタバレが一部含まれます。
アニメでも放映された「刀鍛冶の里」の戦い終盤では、ファンの間で“疑問”に思われている場面がある。鬼の禰豆子が陽光に焼かれ苦しみながらも、炭治郎に対して、他の人たちを救うようにうながす様子が描かれるシーン。人々を救いたい竈門兄妹の覚悟と、彼らの兄妹愛を示す名場面だが、一部から「妹を救うために鬼と戦っている炭治郎が、なぜあの場面で禰豆子を“見捨てた”のか?」という声が上がっているのだ。本サイトの「鬼滅連載」でもおなじみの、神戸大学学術研究員で伝承文学研究者の植朗子氏はこのシーンをどう解釈するのか。コラムを寄稿してもらった。
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鬼になった妹を救うための物語
『鬼滅の刃』の冒頭には、鬼の始祖・鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)の襲撃によって殺された竈門一家の様子が描かれ、唯一生き残った妹・禰豆子が鬼化することで物語が始まります。長兄・炭治郎は鬼の妹に「人間としての生」を取り戻してやるために、鬼狩り集団・鬼殺隊に入隊し、厳しい訓練と、激しい戦闘に身をおくようになります。
「禰豆子 死ぬなよ 死ぬな 絶対助けてやるからな 死なせない 兄ちゃんが絶対助けてやるからな」(竈門炭治郎/1巻・第1話「残酷」)
この「兄ちゃん」という言葉は鬼滅のキーワードのひとつです。「自分の命を捨てたとしても妹のために戦う」という決意を、炭治郎は物語の最初から繰り返し示し続けます。