徳田拳士は音楽もよく聴き、イベントでDJを務めたこともある。「聴くのはテンションの上がるロック系の速い曲、歌うのはバラードが多いです」(撮影/写真映像部・東川哲也)

 AERAの将棋連載「棋承転結」では、当代を代表する人気棋士らが月替わりで登場します。毎回一つのテーマについて語ってもらい、棋士たちの発想の秘密や思考法のヒントを探ります。35人目は、徳田拳士四段です。AERA 2024年3月25日号に掲載したインタビューのテーマは「影響を受けた人」。

【写真】この記事の写真をもっと見る

*  *  *

 2024年2月29日、静岡市でおこなわれたA級順位戦最終局。徳田拳士はいまをときめく藤井聡太名人(八冠)とともに解説役として現地大盤解説会の壇上に立っていた。

徳田「先生、昔僕が『電話番号教えてください』って言ったの、覚えてます?」

藤井「えっ!? いや、そんなことがあったんですか?」

徳田「奨励会のときに。たぶん(藤井が中1で)三段になられたぐらいのときに『もう会わないかもしれないな』と思って。ちょっと連絡先聞いといて、どこかで将棋でも教えてもらおうかと思って。プライドを捨てて、高校生ぐらいのときに連絡先を聞きにいったんです」「結局一度も、プライドが邪魔をして連絡できなかったんですけど」

 5歳下の藤井はあっという間に奨励会を駆け抜け、史上最年少14歳で棋士になった。一方の徳田は苦労を重ね22年、24歳でようやくデビューを果たした。それまでのうっぷんを晴らすかのように、すさまじい勢いで勝ち始めた。

「なんで自分でもそんなに勝てたのかわからないです」

 将棋界初の女性棋士を目指す里見(現・福間)香奈女流五冠の編入試験では、徳田が対戦相手の一人となった。

「あまりやりたくはなかったですが、やると決まったからには全力でやろうと」

 世の中がほぼ里見応援一色の中、徳田はストッパーの役割を果たした。

「あの時期の里見さんはかなり不調で、本来の力が出せてなかったと思います」

 徳田は若手棋士の登竜門・加古川青流戦で決勝に進出。名刹・鶴林寺でおこなわれる三番勝負を2連勝で制した。

「優勝したいと思ってました。奨励会のときに記録係で行って、素晴らしい舞台で、やっぱり対局者の方が気持ちいいだろうなと思っていて」

著者プロフィールを見る
松本博文

松本博文

フリーの将棋ライター。東京大学将棋部OB。主な著書に『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

松本博文の記事一覧はこちら
次のページ