「大リーグに行きたいとかじゃなく、キャンプが終わっても試合に出場できない、飼い殺しのような扱いが嫌だったんです。精神的にあれほど辛いことはなかった」

 それでも、5月5日に再渡米しチームに合流すると、村上さんは首位争いを繰り広げたドジャース戦で11試合登板して1失点と大活躍した。

「開幕から40日遅れたのが痛かった。結局、ドジャースに2ゲーム差でリーグ優勝を逃したんだけど、開幕からプレーできていればチャンピオンリングを手にできたかも。あの年の私の勝率なら勝利に貢献できていたはずだから」

 村上さんはそう言って悲しげに笑った。

 堂々の成績を残しながら、わずか2シーズンでメジャーを去ることに無念さはなかったのか。

「当時はまだ21歳。普通にやればあと5年はプレーできたでしょうけど……。やっぱり、もう少し向こう(アメリカ)でやりたかったな」

 日本球界に戻った村上さんは南海で9年、阪神で1年、日本ハムで7年プレーし、82年に引退。プロ野球では通算566試合で103勝82敗30セーブ、防御率3.64。68年に18勝4敗で最高勝率のタイトルを獲得した。プロ野球人生も終盤に差し掛かった日本ハム時代に、こんな思いがよぎったという。

「35歳ぐらいになって、もう俺はアメリカに行っても活躍できそうにない、もう無理だなと悟った。そのとき初めて、そろそろ(日本人の他の選手で)メジャーに行く人がいてもいいかなと思った」

 それまでは「メジャーに行くんだったら俺が」という熱い思いが残っていたというのだ。

 大谷翔平選手らトップレベルの日本人メジャーリーガーの活躍は、村上さんにもまぶしく輝いて見える。

「どの選手もチャンスがあれば大リーグを目指してほしい。ダメだったら日本に戻ればいい。人生一度ですから。悔いのない人生、これが一番です」

 村上さんはサイン色紙にも「人生一度」と言葉を添えるという。

 あらためて胸に刻んだ。失った時間の輝きは生涯色あせることがない、ということを。

(編集部・渡辺豪)

AERA 2024年3月25日号に加筆

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