――晴れて、北大へ。思い描いていた通り、虫捕り三昧の日々だったのでしょうか。
実は入学式もそっちのけで虫捕りに出かけたのですが、数が減少しているゲンゴロウの大型種を捕まえられたんです。もうその時点で、北海道で成すべきことは達成したと思えるほどの嬉しさでした。学校が始まってからも、朝5時に起床して、虫捕りの日々でした。雨の日にのみ講義に出るという生活でしたから、入学から1カ月で進級が難しいことが判明。ならばと1年の休学を決めて、外国の昆虫を見てみたいという思いから、すぐに海外へ行きました。現地の飲食店でバイトをしながら虫捕り生活をしていました。ニュージーランドではオークランド大学の昆虫好きの教授に出会い、虫捕りに連れて行ってもらったり、研究論文の書き方などを教えてもらったりして、今の研究生活に繋がっています。さらにはこの頃、ニュージーランドで新種も発見することができ、とても嬉しかったです。
――その後、東京大学大学院へ。明確な目的があったのでしょうか。
海外から北大に戻ったのですが、昆虫学が学べる農学部には成績都合で行けず、理学部の数学科専攻となりました。それでも農学部博物館の研究室に入り浸り、昆虫の論文を書いていました。この先も昆虫採集を続けたいと考えたとき、海外に虫捕りに出かけるのにアクセスがよい東京の大学院へ行きたいというのが、東大大学院に行く一番の理由でした(笑)。今は昆虫採集の時間を大切にしながら、海外の研究者と共同研究をして、充実しています。
――昆虫への情熱が、牧田さんの人生を動かし、牧田さんを形作っています。好きなことを伸ばすという点で、親御さんの働きかけがあったのでしょうか。
僕が幸せだと感じているのは、「ワクワクする魅力的な昆虫たちを捕ること」を人生の一本柱に持つことができ、その柱を誰からも折られなかったことです。勉強をせずよく怒られてはいましたが、虫捕りを否定されることはありませんでした。両親は常に、好きなことをしなさいというスタンスで、僕に接してくれていました。実は、僕はこんなに昆虫が大好きなのに、両親や妹は全くと言っていいほど虫が苦手なんです。なので一緒に虫捕りへ行くようなこともなかったんですが、いつも温かい目で見守ってくれていました。僕が虫の本や図鑑をねだった時も、何も言わずに欲しい本を買ってくれました。自分がやりたいこと、欲しいものは絶対に自分で決めたい、そんな子どもでしたから。今も、自分がやりたいことを突き詰める姿勢は全く変わりません。