一億総活躍国民会議のメンバーとして会議に参加した菊池桃子 (C)朝日新聞社
一億総活躍国民会議のメンバーとして会議に参加した菊池桃子 (C)朝日新聞社
この記事の写真をすべて見る
トップアイドルだった菊池桃子 (C)朝日新聞社
トップアイドルだった菊池桃子 (C)朝日新聞社

 13日放送の「上田と女が吠える夜」(日本テレビ・毎週水曜午後9時)のテーマは「ハマると一直線! 凝り性な女」にSPゲストの GACKTが立ち向かう。ゲストのひとり、菊池桃子はダイヤモンドより縄文時代の装飾品に歓喜するほど縄文時代が好き!? そんな菊池桃子の過去の記事を振り返る。(「AERA dot.」2019年11月20日配信の記事を再編集したものです。本文中の年齢等は配信当時)

【写真】清純派アイドル時代のかわいすぎる菊池桃子

*  *  *

 菊池桃子が再婚した。その相手が経済産業省のエリート官僚であることが話題になったが、じつは彼女、ちょくちょく世間を驚かせるクセ(?)がある。なかでも、過去最大のサプライズは88年、ロックバンド「ラ・ムー」を結成したことだろう。

 というのも当時、彼女はデビュー5年目で、トップアイドルのひとりだった。85年から87年にかけては、シングルが7作連続でオリコン1位に輝いている。

 また、彼女のデビューは雑誌「Momoco」創刊と連動していて、同誌はその後、美少女アイドルの登竜門となった。ここから西村知美、杉浦幸、酒井法子、畠田(羽生)理恵といった面々が登場。「モモコクラブ」(TBS系)というバラエティ番組も作られた。

 折しも「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)から生まれたおニャン子クラブがブームを起こしていたが、こちらはその対抗勢力であり、桃子はその象徴的存在でもあったわけだ。

 しかも、アイドルとしては優等生っぽさ、歌手としてはささやくような優しいボーカルが持ち味の彼女は、ロックから最も遠いイメージだった。同じ年に本田美奈子もロックバンドを結成したが、そちらはすでにソロでもロック志向を打ち出しており、桃子のような唐突さはなかったのである。

なぜラ・ムーなのか?

 そのためか、ラ・ムーのデビュー曲「愛は心の仕事です」には1枚のチラシが挿入されていた。

「桃子なのにラ・ムーなのはなぜなの?」

 と題された、音楽評論家・富澤一誠による解説文だ。といっても、桃子自身のことばが紹介されているわけではなく、彼女のファンはなぜなの?と頭を抱え続けることになる。

 いや、ファンでなくとも、この転向には「?」だらけだった。なにせ、バンドの編成もサウンドもパフォーマンスも、当時のロックのイメージからはかけ離れていたからだ。

 桃子とともに、ふたりの黒人女性が踊りながら歌い、それをキーボードやドラムス、ギター、ベースがサポート。曲調はR&Bやファンク系だ。今ならこういうロックもありだろうが、宇多田ヒカルが登場する10年以上も前の話である。

 さらに、イラストによるジャケットも謎だった。現代的な都市空間に、古代人みたいな4人(男3女1)が空飛ぶ舟に乗って浮かんでいる。ラ・ムーの由来は空想上の大陸・ムー大陸の王の名だから、そこからの発想だろうか。ちなみに「Momoco」を出していた学研はオカルト雑誌「ムー」の版元でもある。

次のページ