そんなラ・ムーはその後「少年は天使を殺す」「TOKYO野蛮人」「青山Killer通り」とリリースしていったが、桃子ファンにもロックファンにも受け容れられたとは言いがたい。バブル時代研究家のDJGBによれば、アルバム発売後に予定されていたツアーも行なわれず、黒人女性の片方は途中で米国に帰ってしまったという。

 結局、翌年には事実上の解散。桃子は歌手活動をやめ、女優やCMタレントとして巻き返すこととなった。

普通の女の子でいてほしい

 というのが、ラ・ムーをめぐる経緯だが、いったいなぜ、彼女はこのような挙に出たのだろうか。その手がかりとなるのが、アイドル時代の全54作品を手がけた作曲家・林哲司が著書に記した人物評だ。中学生の彼女とレコーディングスタジオで初めて会ったときのことを「見るからにおとなしそう」「可憐なセーラー服姿はどこか場違いな雰囲気」と書き、こう続けている。

「『普通の女の子に戻りたい』といって解散したのはキャンディーズだったが『このまま普通の女の子でいてほしい』と思ったのが彼女に対する初印象だった。音楽業界、いや芸能界で活動するにはあまりにも純真無垢なイメージをそのとき感じたからかもしれない」(「歌謡曲」04年)

 そして、そのイメージはこの本を書いた(04年)時点でもずっと変わっていないのだという。

 林にはインタビューしたこともあり、真面目で正直な人という印象だ。EXILEに入る前のTAKAHIROをオーディション番組でスカウトし、手がけるはずだったのに逃げられてしまったことをネット上で告発したときは、彼らしいなと感じた。それゆえ、桃子に対するこの評も嘘ではないだろう。

 そこを踏まえて、彼女のこれまでの言動を振り返ると、いろいろ得心がいくのである。

プロゴルファーの西川哲との結婚

 たとえば、彼女は日本レコード大賞の新人賞を受賞しながら、最優秀新人賞の対象になることを辞退し、授賞式も仕事を理由に欠席した。そのかわり、彼女の手紙が読み上げられ、そこには賞という評価システム自体への疑問が示されていた。当時は事務所がやらせたのではともいわれたが、あれも林の言う「芸能界で活動するにはあまりにも純真無垢」というやつの反映だったのかもしれない。 

 また、ラ・ムーを始めるにあたっても、会見では「アイドルでいることの違和感」を口にしていた(当時の彼女はどう見てもアイドルそのものだったが……)。 

 そんな彼女が94年に結婚した相手は、プロゴルファーの西川哲。父は芸能界のドンとも呼ばれた新栄プロの創業者・西川幸男で、母は五月みどりだ。いわば、ザ・芸能界的なふたりだが、桃子は気に入られたという。哲がまだプロとして実績不足なのを理由に結婚を延期されても、純愛を貫こうとする姿が好感を与えたようだ。

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