学内で指導が行われていないのであれば、何が医学部進学の動機づけとなっていたのか。大きく作用していたと考えられるのが、周囲が東大を目指すから自分も目指すという「ピアプレッシャー」だ。1980年代後半に同校を卒業し、東大理3から医学部へと進学した医療ガバナンス研究所の上昌広理事長は言う。
「私たちの世代では『東大一辺倒』の価値観が今よりも強かった。灘校から東大に行けなければ落ちこぼれも同然。たとえ京大であっても、医学部でなければ見方は同じでした。一方で、理3受験者自体が減っている今は、そんなことはなくなっています。養老孟司さんのような名物教授も減り、東大という大学自体が今の受験生にさほど魅力的な場所だと映らなくなっているのでしょう」
最難関校のプライドとプレッシャーから、在学生が「灘→東大」の王道ルートに駆り立てられる構造は、現在も根本的に変わっているわけではない。先の教養学部生は言う。
「中学受験を経て灘に入学する時点で、偏差値至上主義とも言える価値観はどの生徒にも少なからず刷り込まれています。もちろん高校生なりに色々と調べてはいるものの、東大理3の志望者に関しては憧れやプライドが先にあり、医学部の志望動機は後から理由づけしていることも多いと思います」
難関国立大学医学部に強い関西の進学塾「高等進学塾」で、医学部進学室長を務める保木本將人講師が言う。
「慶應大や関西医大など私立大学の医学部志望者の場合、ご両親が医師で自身も医師を目指すようになったケースが多い。奈良県立医大、三重大、高知大など、地方の国公立大学志望者も、純粋な医師志望者が多い印象です。一方、灘高校をはじめとするトップ校から東大の理科3類や京大医学部を目指す子は少し事情が異なります。医者という職業への憧れもあるものの、『偏差値ナンバーワンの大学に挑戦したい』という思いが志望動機になっていることも少なからずあります」