ハリウッドザコシショウ(撮影/写真映像部・加藤夏子)
ハリウッドザコシショウ(撮影/写真映像部・加藤夏子)

舞台でブルブル震えた日も

――1999年にはNSCを辞め、拠点を大阪から東京へ移します。しかし、2002年にはコンビ解散。このときの心境を教えてください。

 本気で芸人をやめようと思ったのは、あのときが初めてです。一人になったら、舞台でしゃべるのが急に怖くなったんです。コンビって結局は二人の掛け合いじゃないですか。僕がセリフを言って、相方がセリフを言うっていう「間」がある。でも、一人になると、その「間」を詰めないといけなくなる。そのリズム感がまったくつかめなかった。ひどいときは、舞台でブルブル震えてしまって、セリフがまったく出てこなくなったこともありました。

 それに、東京に仲の良い友人もまったくいない状況で孤独だったというのもつらかったです。お笑いのことも、誰にも相談できなかったですし。人間って一人じゃ何もできないんだなっていうのをあのときに痛感しました。

――それでも芸人をやめずに続けてこられた理由は何なのでしょうか。

 SMAの事務所に入れたのが大きかったです。きっかけは後輩への電話でした。「今、SMAっていうゆるい事務所にいるんですよ」という話を聞いたんです。どうやら、ネタがなくても入れると(笑)。僕はそのときフリーで活動している状態だったので「俺も行ってもいいの?」と聞いてみたら「来てくださいよ!」と誘ってくれて。

 SMAには、どっかで失敗してきたようなやつらばかりが集まっていました(笑)。中には、僕がコンビで活動していた時代を知っていた後輩もいて、「ザコシショウさんじゃないですか! 僕も元吉本なんです。一緒に頑張りましょうよ」とか優しく声をかけてくれて。僕と同じような境遇のやつらばかりだったので、とても居心地がよかった。孤独を体験していたから余計にそう感じたんだと思います。

 僕はみんなより年上でしたけど、バイきんぐや錦鯉とか、後輩が慕ってくれるのもありがたかった。SMAに入っていなければ、芸人なんていまごろとっくにやめていたと思います。今の僕がいるのは、間違いなく、芸人の「仲間」のおかげですよ。

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