「環軸椎亜脱臼(かんじくつい・あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」と「敗血症性ショック」で長らく入院生活を続けていた天龍源一郎さん。今回は自宅療養中のところ、自身が受けた教えや、子どもへの教育について語ってもらいました。
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13歳で相撲の世界に入った俺が教育を受けたのは、部屋の親方と先輩くらいなもんだ。特に教えられたのは「相撲取りは宵越しの金を持たない」ということ。
それは“下の若いやつらのために金を使って育成するんだぞ”という意味が込められている。親方にも「持っている金は若いやつを助けるために使いなさい」とよく言われていたしね。
若いやつらが「関取、関取」と立ててくれるからこそ立場があるんだから、その返礼で金を使いなさいって意味が込められている。
プロレスに転向したらビックリ
俺も先輩や親方によくしてもらったから、上の人が下に金を分配するのは当たり前だと思っていたけど、プロレスに転向したらみんな個人経営で金払いは別々っていうのはビックリしたよ。
ジャンボ鶴田が音頭をとって若手を集めて「鍋をするぞ」って言って「お前ら、一人1000円な」って金を集めたのは衝撃的だったね。まあジャンボが特殊なのかもしれないが、他のレスラーだって金払いに関してはそう大差はなし、そういう生活をしてたジャンボがやっぱり一番金を残しているよ。
ただ、まだ相撲部屋の名残があった日本プロレス出身のザ・グレート・カブキさんや大熊元司さんたちと飯を食いにいくと俺はいつも奢ってもらっていた。それでも、俺がメーンイベンターになると、俺が払うようになるんだ。
プロレス界でいつまでも古参が幅をきかせているのを見てて、年下でも稼いでいるやつがちゃんと払ってもいいじゃないかって思っていたこともあって、相撲のときのように番付が上の者が払うってことをプロレスでもやり出したんだ。力道山関からの相撲の流れがあった旧日プロ勢の人達はみんな共鳴してくれたよ。
番付が上の者が払うっていう相撲のシステムは、力道山関が日プロを作ったときはまだ残っていたんだろうけど、ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さんの代になって、だいぶ薄れちゃった。