でも、俺が全日本プロレスを退団した後、特にそうしろと言ったことはないんだが「三沢光晴や小川良成が天龍と同じように若いのに金を使っている」と聞いたときは嬉しかったね。
家では女房に任せていた
家庭での子育ては女房に任せていたから口を出したことはない。女房が「こうしようと思うけど、どう?」と聞かれることが多かったけど、俺に相談するってことはそっちに気があるんだから「そう思うんだったらそうでいいよ」って、後押しすることだけを心掛けていたよ。
何も知らないで引っ掻き回してもしょうがないからね。ただ、娘が悪いことをすると手を上げるのはしょっちゅうだった。俺は覚えてないんだけど、娘が中学生のとき、まだ早いからダメだと言っていたピアスを勝手に空けてきたことに怒って、ボッコボコにしたらしい(笑)。
その後、高校に入学するタイミングで「プロレスラーの娘ということが障害になることもあるだろうから、高校の入学式には行かない。これからは手を上げることもない。自分で善し悪しを判断して、母親を悲しませることはなしないように」と伝えた。
判断は娘に任せることにした一方で、俺の周りのことを経験してもいいかと思って、高校生になってからはWARの仕事もやらせたし、銀座の飲み屋に関しては小学生のころから連れていっていた。彼女は30年も銀座に通っているんだ。それが俺がした教育らしい教育かもね。
娘が酒を飲める歳になったとき、自分の酒の限度を早めに覚えた方がいいだろうと思って、飲ませて教育したつもりだったんだけど、その後もずっとベロベロになって帰ってくるんだから、全然学んでいない。俺の教育はなんだったんだと、酔っぱらっている娘を見て、最近よく思うよ……。ま、オヤジの血をしっかり継いでいるということか!(笑)
教えるということは、時に難しいけど、同時に自分自身も学ぶ機会になるね!
(構成・高橋ダイスケ)