「私たちは人間の視点でしかものを見ていないから、人間の世界にも犬もカラスもいる、と捉えがちですが、カラスにとっては自分たちの土地であり、他生物は地表にはりついている。カラスの人生を擬似体験したことはなかったけれど、今回は高いところまで行くことができた。『どんなふうに見えているのだろう』と想像をしながら」

 取材中、江國さんは「想像」という言葉を何度となく口にした。執筆中は、望子と同じように、川や水の気持ちを想像してみたこともあるという。

 それでも、“想像の物語”に収まることがないのは、登場人物が私たちと変わらぬ日常を生きていると感じられるからだ。自身が好きだという相撲のこと、俳優ライアン・ゴズリングのこと。さりげなく織り込まれるそれらを“余分な小さなもの”と表現する。

「どんな人も、恋愛や結婚、死といった小説のテーマになりやすいことだけを考え生きているわけではないですし、余分な小さなものに生活は支えられていると思うんです」

「川のある街 III」は、一度も訪れたことのないアムステルダムの街を舞台とした。街なかの狭いエリアと人生の重要人物との結びつきだけが生活のすべてになりつつある、認知症の芙美子が主人公だ。40年以上も前に海を渡った芙美子は、いまは亡き愛する女性の記憶とともに街を歩く。

 これまで出会ってきた街や人々との記憶と、江國さんの想像力が重なり合うとき、物語を読む幸福が一気に押し寄せてきた。(ライター・古谷ゆう子)

AERA 2024年2月19日号

暮らしとモノ班 for promotion
「更年期退職」が社会問題に。快適に過ごすためのフェムテックグッズ