下積み時代に面倒を見ていた後輩たちが次々にブレーク

――サラリーマン生活を経て、お笑いの世界に入って今年が24年目になります。

 今まで大きなチャンスを4回逃しているんです。「爆笑レッドカーペット」「エンタの神様」「あらびき団」「R-1ぐらんぷり」……。R-1は2014年に初めて決勝に進出して「これで人生が変わる」と思ったけど、仕事が増えない。自分の力不足だけど、40歳前後が一番きつかった。

――売れる芸人はごく一握り。厳しい世界ですね。

 そうですね。本当に何度も失敗して……。ただ、「アメトーーク!」の21年1月に放送された「40歳過ぎてバイトやめられない芸人」に出演して以降は仕事が少しずつもらえるようになりました。同じ番組に2、3回呼ばれると本当にうれしい。40歳を過ぎてアルバイトしながら2人の子どもを育てる芸人が求められることは何かなって考えます。自分のダメな部分を笑いにできるようにしないと。一個一個がチャンスだと思ってフルスイングしています。「一番きつい仕事は何ですか?」ってよく聞かれるんですけど、どんなに頑張っても仕事がないときが一番つらい。番組スタッフに「過酷な現場ですみません」って謝られるときがあるんですが、全然きつくない。仕事がないほうがはるかにきついですから。

「TAIGAさんは売れてほしい」って

――芸人を辞めようと思った時期はありましたか。

 35歳から40歳にかけて何度も辞めようと思いました。「新ネタを3本作ってライブに出てダメだったら辞めよう」とか考えたりしたけど、辞められない。単独ライブで300人の小屋に8枚しかチケットが売れなかったのに満席にしてくれた友人に恩返ししたいし、オードリー、ぺこぱとか「TAIGAさんは売れてほしい」って名前を出してくれる後輩の期待に応えたいとか……。地元の友達と飲みに行ってもオレだけ一回もお金を払ったことがないんです。申し訳ない気持ちはずっと持っているし、「今日はごちそうするよ」と言えるようになりたいです。

「TAIGAさんは売れてほしい」と名前を出してくれる後輩の期待に応えたいという
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「おまえは好きなことをやれ」と