大学受験で1年浪人して、73年4月に東京の青山学院大学法学部へ入学した。一度は東京へ出てみたかったが、大都会では「楽天」とはいかない。小遣いは足りず、せわしく歩く街にも馴染めない。故郷ののどかなよさを忘れたことはなく、就職はUターンし、西鉄に入る。

早朝から深夜まで切符に鋏を入れると「ありがとう」の言葉

『源流Again』では、西鉄久留米駅にも寄った。78年4月に入社後の研修を受け、短くても鉄道の現場をただ一度、経験した地だ。改札口はかなり前から自動化されているが、当時は早朝から深夜まで駅員が交代で立ち、切符に鋏を入れていた。

 やってみると、朝夕のラッシュ時は、切符の区間をみる余裕もない。次々に鋏を入れていると、突然、「ありがとう」の声がする。客からの言葉だ。これが、何よりもうれしく、励みにもなった。駅員たちはみんな同じ。五庄屋の話で刻まれた「地域のために」の思いに、「人のために」も加わって、『源流』からの流域が広がっていく。

 研修後、本社の経理部へ配属されて、各駅の収支の数字を集計した。その数字をみて「これは、あの現場の努力の積み重ねなのだ」と胸がうずいた。その思いを胸に、87年7月に「ソラリアプロジェクト」へ参加し、天神地区との縁が始まった。

 会長になったいまも地元も参加する場で10年後、20年後の天神の姿を考えさせて、実現へ「天神ビッグバン」を推進する。西鉄本社ビルを含めて古いビル30棟を建て替える際、それぞれ広場のような場所を生み出し、様々な料理のキッチンカーや大道芸が連日のように出て「歩いて楽しい街・天神」にする。「アジアの福岡」を意識した行事も、打っていく。

 いろいろ課題が生まれ、コロナ禍のような想定外のことがあるかもしれない。でも、「すぐそばにいて、待つ」の『源流』は様々な支流を巻き込み、流域に豊かな人材が育った。何より「楽天」の精神は、強い。「上を向いて歩こう」で、地域の幸せを追い求めていく。(ジャーナリスト・街風隆雄)

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