実家から数キロ歩き、筑後川支流の土手に数十年ぶりに立った。田園風景と遠い山々。この懐かしい光景は、父母の思い出とともに胸中にずっとあった(撮影/山中蔵人)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年2月12日号では、前号に引き続き西日本鉄道・倉富純男会長が登場し、「源流」である故郷・福岡県吉井町(現・うきは市)などを訪れた。

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 福岡市最大の商業地・天神地区で入社10年目に、西日本鉄道(西鉄)の福岡(天神)駅が入る建物などビル3棟を新築する「ソラリアプロジェクト」に参加した。20年目には、ビジネスホテル「西鉄イン」の全国展開に着手する。そして22年目に、北九州市小倉北区の路面電車の車庫跡に複合商業施設「チャチャタウン小倉」をつくった。

 働き盛りの10年余り、開発の現場で指揮を重ねた。鉄道やバスという、当時の本流部門ではない。でも、「地域のために」という大前提は、同じだ。いつも心がけたのは、先行事例の視察には部下たちも連れていき、帰ると「どういう施設をつくりたいか」を議論して、目標を揃える。情報を共有し、課題を与え、答えがくるのを「すぐそばにいて、待つ」。心得は「何とかなる」の「楽天」だ。

 いま、全九州の経済界を束ねる九州経済連合会の会長という職にあるが、あまり動き過ぎずに、様々な声を受け止めるために「すぐそばにいて、待つ」の姿勢は変えない。それが、自分の自然な姿だからだ。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

父似で口数は少なく母似で部下を見守る両親がくれた倉富流

 せっかちだと自認するが、父と似て、口数は少ないほうだ。母に似て、相手が自らの力で道を切り拓くのを、見守る。倉富純男さんがビジネスパーソンとしての『源流』になったと思う「すぐそばにいて、待つ」の倉富流は、そんな両親と過ごした故郷・福岡県吉井町の日々から生まれた。

 昨年11月、旧・吉井町を、連載の企画で一緒に訪ねた。母は残念ながら、就職した78年に若くして亡くなった。もう45年。でも、故郷にくれば、様々な思い出が浮かぶ。何も押し付けてくることもなく、「自分で努力しながら、頑張りなさいよ」と笑うだけ。実家から数キロの筑後川支流の土手へきたときに、「でも、本当は心配して、考えてくれていたのだと思うのですけどね」とつぶやいた。

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