
この土手に立つのは、数十年ぶりだ。思わず「本当に、懐かしい」という言葉が出た。周辺に、いまも田んぼが広がる。筑後平野の東側、江戸時代の初期まで何度も干ばつに襲われた。暮らしが成り立たない農民たちのために、当時の庄屋5人が久留米藩へ請願して許可を得て、資金を出し合って筑後川の支流に堰を築き、用水路を引いた。おかげで、地域は有数のコメどころとなる。小学生のころにそんな逸話を聞き、「地域のために」の思いが、胸に刻まれた。
その堰を再訪すると、5人の庄屋を祀った神社がある。境内の一角に記念碑が立ち、用水路ができるまでの物語を紹介している。小学校時代は毎年春の例祭にきて、級友と「五庄屋」のことが歌詞にある校歌を歌った。苦難を克服した先人たち。思えば、いまを生きる自分たちの責務に、身が引き締まる。
県立高校の英語と商業の教師だった父は、西鉄の社長になった2013年に亡くなるまで、寡黙を通した。いまも農地を潤している用水路のそばを歩きながら「やはり大きな影響を受けたな」と、頷く。
福岡県久留米市の母校、県立明善高校も訪ねた。その自由な校風が、『源流』からの水量を増した。前身は、江戸時代後半に開かれた久留米藩の学問所。歴史にふさわしい校門を卒業以来半世紀ぶりにくぐると、左手に校訓の碑がある。
「克己 盡力 楽天」──厳しさに負けそうになる己に打ち克ち、ひたすら努力を尽くし、結果は天運に委ねる、との意だ。このなかで「楽天」の精神が、自分にぴたりとはまった。
天神地区の再開発で苦境に陥ったときも「何とかなるだろう」
天神地区の「ソラリアプロジェクト」で、取り壊すビルに入っていた商店や飲食店の廃業、移転、再入居の世話もした。相手は協力的で、反対運動などはない。でも、再入居の希望へ応えるには店舗面積が足りない。苦しい状況だったが、常に「何とかなるだろう」と、「楽天」の精神があった。
校訓の碑のそばに、校歌の碑もある。その前で、口ずさむ。
「遠く流るゝ千歳川 高く聳ゆる高良山 遺風床しき大保原や 将軍梅も薫るなり」
つくづく、いい校歌だと思った。千歳川は筑後川のことで、千年は続くとの意味という。
歌で言えば、卒業生の先輩に作曲家の中村八大氏がいた。氏の名作の一つ「上を向いて歩こう」を初めて聴いたとき、「楽天」の言葉が浮かんだ。「まあ何とかなるよ」と語りかけているようで「ああ、そういうことか」と思う。それが『源流』に加わり、「ソラリアプロジェクト」の再入居交渉も、「西鉄イン」の展開も、「チャチャタウン小倉」の開発も、前向きな気持ちでこなせた。