選択肢1は、確かに素敵な暮らしに近づけそうなのですが、お皿1枚を差し替えるだけで、果たして事態は穏便に収束するでしょうか。

 きっと、食器一式を差し替えたい欲求が芽生え、なぜかコーヒーをドリップする器具にもこだわりはじめ、家具やカーテンも買い替え……という事態に発展することもなきにしもあらず、です。

 そして散財し尽くした末に、「結局自分は何をしたかったのか」と気づいても時すでに遅し。後の祭りです。

 というのは少々誇張しすぎかもしれないですが、低コストライフ的には選択肢2を推奨します。

 その方が、お金もかからず満足でき、何もかも丸く収まると、私は心底思うのです。

 自分のリアルな本音とは裏腹に、「パン祭りのお皿を手放した方がいいのでは」と頭で考えようとするから、しんどくなるのではないでしょうか。

 知らず知らずのうちに、どこかからの「イケてる圧」の影響を受けていることに気づいたら、無理に合わせず、そっとスルーするくらいがちょうどいい気がします。

「心地よいもの」を大切にする

 結局戻ってきてしまう――私はそれが「愛着がある」ということではないかと思います。愛着があるから、心地いいと思えて、いつも使うようになるのです。

「馴染みのあるもの」とも言えるかもしれません。

 人はいくら衣食住を変えても、「馴染みのあるもの」に戻っていくようです。

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自分の満足と世間の評価は別