写実的な性描写を書けば、それを読みたいエログロ好きな人が飛びつく。そこへ現代社会の権力者や強者を「加害側」に据えれば、その心象を損ね、失墜を望む大勢の人たちがさらに飛びつく。鬼に金棒のビジネスシステムが成立していると言えるでしょう。

「ヤラレちゃった女子は可哀そうだけど、それよりも、松本人志という権力者が、これで失脚するのが楽しみでしかたない」という、「アンチ格差」の読者たちにとっては、ゲームでラスボスを倒す時ぐらいの高揚感に溢れているのだろうと推察されます。

 金持ちを引きずり下ろしたって、自分は金持ちにはなれないことぐらい理解していると思いますが、それが現代社会を生き抜く彼らのせめてもの慰めなのかもしれません。「景気の良い人」「羽振りの良い人」を失墜させて、仮にもっと景気が悪くなっても、その時は「政治が悪い」なんて言いっこなしですよ。

 そして、心や体が若い男性を「さすが! まだまだ現役!」などと持て囃す割には、何か起きると「遊び方が稚拙だ!」「イイ歳して恥ずかしい」などと、急に大人ぶる人たち。

「女はモノじゃない!」と怒り心頭の女性陣も、やれ「結婚するなら3高(高身長・高学歴・高収入)じゃなきゃイヤ!」とか、「一流商社マンゲット!」とか、「アッシー」だ「メッシー」だなどと、男をずっと「モノ扱い」してきたと思うのですが……。

 私は、性的な相手はもちろんのこと、恋愛や結婚の対象者を「モノ扱い」するのは、必然だと思っています。タイプや好みや系統や条件で選んでいったら、純粋に人を「人」のまま見られる人などいるはずがありません。

 誰かを性的な目で見る時点で、人はある程度「モノ」にならざるを得ないのです。そこを経て、人間同士の付き合いに発展する場合もあれば、単に「性的欲求と願望」を満たすだけの相手として終わる場合もあり、程度はあれど、それが「大人の遊び方」なのではないでしょうか。
 

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