突然のがん告知からここまで約半年。プロ野球の第一線で活躍する選手としての復帰という大きな挑戦を支えたのは、原口選手がこれまで積み重ねてきた自信と経験だった。
「がんになる前から、目標を見据えることの大切さはよく分かっていました。怪我や不調など良くないことがあっても、目標があればやるべきことは見失わない。どんなときも自分に負けないよう一生懸命やってきたという誇りがあったから、このがんを乗り越えられたんじゃないかなと思いますね」
がん治療を通して、野球への向き合い方も変わったという。
「それまでは、どうやったら結果が出るかとか勝ちに貢献できるかとか、そういうことばっかり考えていました。でもがんになり、普通に生活することすら当たり前じゃない状況で、野球ができること、ましてやプロ野球の最高峰である一軍で野球ができるっていうのは本当に幸せだと、いまでもつくづく思っているんです。野球を始めたての小学生のような、純粋に野球が楽しいという原点に返ってプレーできている気がします」
進行がんであることを公表
大腸がんを公表した当初、ステージには言及していなかった。鮮やかな復活劇に「早期発見できてよかったね」と声をかけられることも多く、実際には進行がんだったのに早期がんと思われていることに複雑な気持ちになることもあったという。ステージの公表を後押ししたのが、原口選手が寄付をおこなっている、小児がんなどの子どもとその家族が過ごす施設「チャイルド・ケモ・ハウス」の当時の理事長、楠木重範医師だった。
「『それだけ重い病気をして、これだけ頑張っている人はなかなかいない。絶対みんな勇気をもらえるし励みになる』と声をかけてくださいました。それで、重い病気を抱えた方へのエールの意味をこめてステージを公表することにしたんです。僕が野球をやっている姿が、その方の生活のほんの一部でもいいので、良いエネルギーになってくれたら。それも野球選手としての価値だと思っています」