避難所では、皿やお椀が床に落下して、割れていた=3日、能登町・コンセールのと(写真:松永鎌矢さん提供)

 2024年1月1日に発生した能登半島地震。被害や支援状況について、石川県能登町に入った災害支援NPO法人に聞いた。AERA 2024年1月22日号より。

【写真】家が消えている…津波の被害を受けた地区はこちら

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 石川県能登町に1月3日午後に入った、大分県の災害支援NPO法人「リエラ」の代表理事・松永鎌矢さん(34)が6日、取材に答えた。

「他の支援団体と調整して、支援が入っていなかった能登町に入りました。町役場と連携しながら、今は拠点から避難所に物資を配っています」

 1人で大分からフェリーで神戸へ、そこから車で移動。同町に入ったのは、1日の地震発生からおよそ46時間後だ。多くの家屋が倒壊し、津波も押し寄せた場所。車中泊をしながら2週間ほど滞在する予定という。

「道路はガッタガタで本来は道じゃないところも通った。いつパンクするかわからなかった」

 いたるところで路面は盛り上がり、マンホールが煙突のように飛び出したり、深い亀裂が入ったりしていたところもあった。同町の沿岸部の避難所に向かった。同町では3日時点で5千人以上が避難していた。

 一部が避難所になっていた町役場で、対応にあたっていた職員はすでに疲弊している様子。1日の地震の直後に津波が来た隣の珠洲市に住んでいた職員は、車で移動できないため、自転車で来ていたという。

「パーティションがある避難所は少なく、生活スペースは基本的に土足。寝る場所でだけ靴を脱ぐので、衛生的に心配です」。インフルエンザの患者も増えているが、隔離が難しい避難所もあるという。

拍手で見送り

「今のところ、食べ物はパン、おにぎり、カップラーメンとか炭水化物が多いですね。便秘気味の人もいます」

 松永さんが5日、町内のある避難所に物資を届けた際、避難していた人たちは「これまで物資支援が食料と水の1回しか来ていない」とこぼし、拍手で見送ってくれたという。

 石川県によると、6日14時時点で、町内のほぼ全域で6200戸が断水している。「ただ、水を送ろうといっても道路状況が悪く、難しいですね。時間がたてば解消していくとは思うのですが。僕も住民さんと同じで、ずっと風呂に入れていません」。避難所のトイレ用に1日3回、農業用水をくんでいるという。

 松永さんは東日本大震災以降、さまざまな災害の支援をしてきた。「地震も津波も来て、いろんな災害が一気に来た感じがします。今回は東日本の次くらいの規模だと思います」

 松永さんは半島ゆえの支援の難しさを感じた。「東日本では日本海側からなど、いろんなルートから被災地に入れたが、今回は半島で道が1本しかないような状態。倒壊している家もあり、普通なら1時間で行けるところに5時間もかかっている」

(編集部・井上有紀子)

AERA 2024年1月22日号