取り壊される前の東大駒場寮(2001年8月撮影)
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 作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えてきたこの連載では、これまで各界で活躍する19人の同窓生をゲストに迎えました。今回は特別編。ゲストの方々の活動の原点や転機となった東大時代の話を紹介します。

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 東大時代に転機や現在の活動の原点があるという人も少なくない。

 大学在学中にメジャーデビューを果たしたシンガー・ソングライターの小沢健二さん(1993年、文学部卒)。大宮エリーさん(99年、薬学部卒)は「バンドやってたら、授業出てないんじゃないか」と思っていたが、「もう全然! 徹夜で録音してそのまま駒場(キャンパス)行って、図書館で全部詰め込んで」と小沢さん。勉強に打ち込む日々を送っていた。駒場の図書館では「作詞もしてましたよ、余裕で」。教授とも「友達」のようになり、自宅にお邪魔したり。いまだに親交があるという。

 データサイエンティストの宮田裕章さん(2003年、大学院修士課程修了)も、授業を取ってないのに、その先生に会いにいっていたそう。「自分で学ぶのはいいけど、誰かの言ったとおりに知識を習得するのは、すごく嫌いだったんです」。教授陣の出している本を読み、研究室を訪ね、「議論を吹っかけていました」。

 一方、脚本家・演出家の倉本聰さん(59年、文学部卒)は、「東大っていっても俺、全然行ってないからねぇ」。そのきっかけとなったのが、教授からの「劇団仲間に行け」という言葉。在学中の4年間は、毎日稽古場に通う日々だったという。

 キャスターの膳場貴子さん(97年、医学部健康科学・看護学科卒)は、当時社会問題化していた薬害エイズで、人間のくさりで厚生省(当時)を囲む運動にも参加。一方で、元厚生省生物製剤課長の講義も受けていて、「メディアで一面的に語られることでも、実際にはいろんな面がある。どっちも見て考えたい」と、報道の世界に飛び込んだという。

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