批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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まずは能登半島地震の被災者の方々にお見舞いを申し上げたい。
筆者は東京在住で揺れを感じることはなかったが、父の実家は金沢だ。能登も最近仕事で訪れている。一報を受けてすぐ道路の寸断が気になった。悪い予感はあたり、数日は犠牲者の正確な把握すらできない状況が続いた。本稿執筆時点で死者は200人を超えているが、まだ増えるだろう。
災害発生が元日ということもあり、報道は後手に回った。大津波警報が解除された時点で民放は正月特番に戻り、三が日の取材は少なかった。政府の動きも鈍く、被災地入りする一般車両の通行規制が始まったのが7日、激甚災害の指定方針が表明されたのは8日になってからだった。国民の多くが災害の深刻さを自覚するのに、1週間近くを要している。
この状況は多くの教訓を残している。能登半島は山だらけの長い半島で災害時の陸路寸断はやむをえない。それでも情報収集体制はもう少し改善できなかったか。
当初はSNS上の現地の声が重要な情報源だったが、4日には中継施設の電源が落ちて電話やネットそのものが使えなくなった。日本には山間部の小さな集落が無数にある。今後は災害時も必ず連絡が取れる体制の整備が急務だろう。ソーラーパネルと衛星通信の組み合わせなどが考えられる。