──演出家のマキノノゾミからは、稽古に入る前に「シラノ・ド・ベルジュラック」に関する映像作品をフランス語で観るよう、伝えられたという。

加藤:「物語を理解する」だけでなく、フランス語の言葉が持つ詩的な美しさや響きを意識してほしい、ということだと受け止めました。フランス映画の印象からか、僕はこれまでフランス語についてはボソボソと話すイメージがあったのですが、フランスで行われた演劇の映像を観るととてもエモーショナルなんです。

 嘘をつこうとしても顔に出てしまうような人々として描かれていますが、確かにフランスの人は政治についても自分なりの意見を持っていますし、「怒り」や「悲しみ」「愛」といったものにとにかく真っすぐなイメージはあります。チャーミングだなと思いますし、素直に愛せるんです。日本特有の「わび・さび」の文化も魅力的ですが、直情的で人間的な人たちは、演じていても楽しいですね。頭より先に言葉が出るような人たちとして描かれているので、演じる際も頭で考えている時間がない。早く役を掴まなければ、という気持ちもありました。

■友だちに「どう思う?」

──自身は「書けないとき」をどう乗り越えているのか。

加藤:僕の場合、二つ方法があります。一つは、散歩をしたり、乗り物に乗ったりするだけで脳が一度区切られるので、物理的に「移動する」のは書けないときのブレークスルーとしていいな、と思っています。もう一つは、僕は“壁打ち”と言っていますが、編集の方に話し相手になってもらったり、友だちに「どう思う?」と尋ねてみたりすることもあります。ヒントをもらって、執筆に生かすというよりは、話すことで自分のなかから湧き出てくるものがあるんです。腹を割って話せる友だちと会話をすることで答えが出てくることもあるので、何度も話し相手になっている友だちは「この本の印税の何%かは自分のお陰」と言ってきますけれど(笑)。

──歌手活動、作家、舞台の演じ手と、さまざまな活動が良い作用をもたらしているという。実感するのはどんな時か。

加藤:演劇に向き合う時にすごくいいなと思うのは、「身体を動かせる」ことです。身体表現を通して生み出されるものは結構あって、たとえば台本を読んで泣けなくとも、実際に体を動かしてお芝居をすると泣ける、ということもある。相手の動きのなかから見えるもの、自分の動きから見えてくるものが確かにあるんです。

 対して、小説は脳内で人を動かしていくので、その違いは面白いな、と。執筆で行き詰まった時に演劇と向き合うと爽快感があるというか。逆に、演劇で自分ではない誰かになり続けている苦しみを感じたときは、小説という「創作」で発散できるという面もあります。

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